本作は平成25年10月7日より12月30日まで盛岡タイムス紙にて掲載された短編小説である。
赤虎シリーズは『九戸戦始末記─』のスピンオフ作品なのであるが、これはさらにそこからスピンオフした作品群となる(「奇譚シリーズ」)。
作中の「井ノ川円了」のモデルは実在の妖怪博士・井上円了である。時代設定は明治二十七(一八九四)年前後で、井上円了が狐狗狸を解明したほぼ二年後となる。
「森下林太郎」のモデルは森林太郎(鴎外)。この年齢の頃、鴎外はは陸軍軍医である。
『怖谷奇譚』 早坂昇龍
季節はそろそろ晩秋を迎えようとするある日のこと。我が庵の玄関口より駆け込んで来る者がいた。
「円了先生。円了先生!」
座卓から顔を上げると、若き友人が三和土(たたき)に立っていた。
「林太郎君。そんなに慌てて、一体どうしたのだい?」
私は墨を磨(す)っていた手を止め、友人が部屋に入って来るのを待った。
友は草履を蹴散らすように脱ぎ、板間に上がって来た。
「円了先生。興味深い話を聞きました。どうやら今度こそ本物ですよ」
この友人の名は森下林太郎と言う。私より四つ五つ年下であるから、三十歳の手前の年恰好である。今は陸軍で軍医を務めている。