このページは、早坂昇龍&ノボルの近況と、「北斗英雄伝」シリーズの進行状況、執筆中の作品についてご紹介するページです。
この1月に、内視鏡検査(兼治療)を受けました。
昨年は「立っているのもやっと」の状態が多かったのですが、持病の心臓に加え、肺や消化器に異常が発生したためだったことがわかり、治療の要が生じたのです。
退院後は、体調がイマイチ戻らず、寝たり起きたりの生活でした。
外出することがあっても、近くの温泉に行くくらいです。
しかし、温泉も入りようによっては体に負担がかかるらしく、疲れを感じることがあります。
たまに、体が急に重くなる時がありますが、軽い狭心症を起こすようなので、いつもニトロ錠剤を携行しています。
先日も、起床時に思い立ち、朝一番で日帰り温泉に行きました。
すると、朝、薬を飲んだ直後で、血圧を下げているのに、温泉でさらに血圧が下がり、気持ちが悪くなってしまいました。
服のポケットには薬が入っているのですが、体が重くなり、気づいた時には腕を上げることも出来なくなっています。
そのまま休憩室で意識を失い、目が醒めた時には夕方でした。
場所が休憩室で、ひとまず服を着ていましたので、周囲の人はきっと私は寝ているのだと思ったことでしょう。
その時はほとんど夢も見ず、目の前はほぼ真っ暗でした。
どこか暗いところを歩いているような気がしますが、そこがどこかはわかりません。
感覚的には、灯りの全くない峠道を上っているような感じでした。
この状態は、わずかな時間だったような気がするのに、目覚めて見たら7時間後でした。
目覚めた時には、真っ先に、かつて経験した臨死体験を思い出しました。
その時は、長く暗いトンネルをひたすら歩きました。
きちんと自意識もあり、トンネルの様子や、穴の向こう側から差し込む光も見えました。
長い時間歩いたような気がするのに、心臓が停止していた時間は、わずか1、2分でした。
今回はその時とはまったく逆です。
時間の感覚はなく、気がついたのは半日後です。
体の感覚がほとんどなく、ほとんど闇の中にいました。
昔の人は、死後にたどる道を「山道」に例えましたが、なるほどと納得しました。
体の機能が低下したことと、こういう感覚を得たこととは何か繋がりがあるのでしょうが、おそらく、この峠道の先に、あのトンネルがあるような気がします。
トンネルの向こう側には川がありますが、これは多くの臨死体験を経験した人が語る内容と同じです。
この川の近くでは、既にこの世の者ではない人と会えます。
その時、その人たちと一緒に飲み食いしたり、川向こうに渡ると、この世に戻って来られなくなるようです。
そうなると、「死出の山道」は、まだ入り口付近ですね。
目が醒めた瞬間に感じたことは、「またお釣りをもらったか」です。
この世での自分の寿命は既に尽きているような気がしますが、まだ楽しむ時間を与えられているようです。
生死の境目を意識する機会をまったく得ずに、突然亡くなってしまう人も多いようですが、私の場合、何度か「予行演習」を経ていますので、慌てずに対応できそうな実感があります。
人生を楽しむ時間はあともう少しありそうです。
寝たり起きたりの生活で、遅々として進みませんが、ようやく「北斗英雄伝」第5巻の再編集が終わりました。もう一度点検し、数日中に印刷に回す予定です。
2013/12/03 「獄門峠 ─盗賊の赤虎が大猿退治に加勢する話─」を書き始めました。
2013年は体調がいま1つでした。
5月頃には、「あと数か月で死ぬだろう」という確信めいた気持ちを持つほどでした。
夏場にはなんとか持ち直し、秋口までは比較的安定していました。
しかし、寒い季節の到来とともに、またもや体調が悪化しました。
起きられない日々が続き、11月には治療や検査のため、9回通院しました。
結果は程なくわかりますが、先が見えず、何もせずぶらぶらしていると、さすがに心が滅入ります。
「オレはもう終わりかも」、「あと少しで死ぬ」などと、愚痴をこぼすようになります。
そうなると、知人・友人を問わず、周囲の人が次第に減って行きます。
家族の心さえも離れます。
この状態は以前にも経験があります。
30代の末頃に著しく体調を崩し、寝たり起きたりの生活を送っていたことがあるのです。この時、仕方なく、PCのキーを打ち始めたのがきっかけで、評論を書き、エッセイを書き、と続けているうちに、いつの間にか小説を書くようになっていました。
若い頃に、小説家を目指したことなどまったく無く、むしろその対極にいたほうです。
身近なところに著述家や文化人の知人がいましたが、それらの人たちには本当に辟易させられました。
そのせいで、小説家や出版に関わる人間なぞ、正直、「人類のカス」と思っていました。文壇そのものにまったく興味が無いので、ついつい攻撃してしまうのは、今も変わりありません。
自分でやってみると、自分の感じた通りの感覚を他の人に伝えるのは、なかなか難しいです。
元々散文を書く文才などない上に、トシを取ってから始めたので、妙な癖がついています。
「上手く書く」のは到底無理なので、「一気に書く」ことで、「途中で放り出してしまいたくなる気持ち」を押さえつけています。
11月には、北斗英雄伝の第5巻を刊行する予定でしたが、連日の通院で、まったく作業がはかどりません。(「はかどらない」と言うより、「手が付けられない」が実情です。)
じくじたる思いを抱える毎日ですが、「こういう時にどうやって体勢を立て直せば良かったか」をよくよく思い出してみると、その答えは「新しいドラマを書くこと」でした。
書き始めてみると、次第に気持ちが高揚してきます。
なるほど、「生きて行くには『きぼう』が必要なんだよ」です(拙著『タカオくんの梨の木』より引用)。
今は『獄門峠 ─盗賊の赤虎が大猿退治に加勢する話─』を書いています。
シリーズの最後にあたる話ですが、赤虎が40歳頃の話です。
前作『島の女』で、赤虎は島の女・リエと出会い、別れますが、それから7年くらい後の話となります。
赤虎は鹿角郡に湯治に行きますが、そこで当地の盗賊団の一味と間違えられます。
捕り手は大湯四郎左衛門でしたが、程なく人違いであることがわかり、解放されます。
四郎左衛門が追っていたのは、「猿の三次」の率いる盗賊団で、三次は女子どもを攫っては奴隷として売りとばす輩でした。野猿の群れを操るので、猿(ましら)という異名がある極悪人です。
赤虎が誤って捕縛されていた時に、1人の浮浪児と心の交流が生じます。
浮浪児は赤虎に向かって、「仲間の子どもたちを助けてくれ」と頼みますが、赤虎は誤って捕縛され、鞭打たれたので、その頼みを断ります。
しかし、赤虎も元々は戦災孤児でしたので、心の中は揺れていました。
赤虎が湯治場に戻り、数日経つと、あの浮浪児が攫われたという知らせが入ります。
赤虎は大刀2本を手に取り、猿の三次が待ち構える野猿峠に向かいます。
峠に向かう途中で、赤虎は大湯四郎左衛門と合流し、共に協力して、猿の三次とその手下、またそれらを囲む野猿の群れと戦います。
後は本編にて。
数年前に、『無情の雨』を書いた時に、赤虎に復讐しようとする人物として、「猿の三次」を登場させました。
この時にイメージしていたのは、大湯四郎左衛門の猿退治(鹿角地方の伝説)に、何か赤虎が関わっており、その時に倒した相手が出てきたら、さぞ面白い宿縁となるだろうと思ったのです。
ようやく形に出来そうですね。
ちなみに、浮浪児(名は厳徹)も、従前より赤虎と関わりのある人物です。
島の女のリエも、思わぬかたちで登場することになります。
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