時は天正も半ばを過ぎた頃の話である。
既に薄暗くなった山道を、壮年の男と女児の二人が急いでいた。
男は背丈六尺を超え、極めてがっしりとした体躯をしていた。かたや女児は五六歳見当のまだ幼い子である。
元々二人は、この日の午後には次の宿場に着いている筈であった。
しかし、道の半ばも行かぬうちに、馬が突然斃れそのまま死んでしまった。このため、日が落ちようとする時刻になっても、まだ手前の峠を越せずにいた。
仕方なく、男は女児の手を引き、徒歩で山道を歩いていたのである。
「さぞ疲れたであろうな。もはや少しも歩けぬ程くたびれ果てたなら、俺が負ぶってやろう」
男が口を向けても、しかし女児は首を横に振り、黙って歩き続けている。
男の名は赤平虎一、通称を「赤虎」と言う、奥州北部を地盤とする盗賊であった。
赤虎が連れているこの女児は、自身の子ではなく、赤虎が寺泊港に逗留していた時、懇意となった女の連れ子である。
なぜ他人の子を連れ歩いていたのか。その次第は概ね次の通りである。
赤虎は出羽から京に向かう船に乗ったのだが、佐渡に差し掛かった頃、ふとした弾みで船から落ちた。船の真下にはたまたま大鰐が居り、赤虎はその鰐の鰭で右大腿を擦られ傷を負った。
このため、赤虎一人がそこで船を下り、寺泊港に留まることになった。
赤虎が受けた傷は思いの外深手だったので、赤虎がひとまず歩けるようになるまでには、凡そ三ヶ月を要した。
赤虎が寺泊に逗留していた時、その身の回りの世話をしていたのは、七海(ななみ)という女である。七海は齢二十五で、その一年前に夫と二人で越後国まで働きに来たのだが、着いて間もなくのこと、夫はふとした病が元で命を落としてしまった。しかし、七海は夫の死後も寺泊に留まり、下働きなどをしながら己の娘を育てていた。
海で傷を負った赤虎は、佐渡の地頭の計らいで寺泊に身を寄せることになったが、その時この女が主に命じられ、赤虎の世話をするようになったのである。
その七海も、赤虎が漸く歩けるようになった頃、風邪が元で、僅か数日であっけなく息絶えてしまった。
赤虎は、臨終間近の七海に、「この子が生まれ育った山奥の村に、己の娘を連れ帰ってください」と乞われた。
赤虎はそれを了承し、越後を発し出羽山中の村に向かうべく、二人で旅を続けていたのであった。
この日は寺泊を出てから七日目であった。
あと僅か一日という所まで来て居り、当初はその日の午後に着く筈であった宿場が、この街道の最後の宿であった。
目的の村は、それから脇道に入り、山を三つ越えた所にある。
この先は峠道で、子どもの足では無理である。従って、いずれか適当な場所を見つけ夜を過ごす必要がある。
五歳の子に野宿は酷である。またそれ以前に、山中には狼や山犬が徘徊していた。
「せめて今宵ひと晩を過ごす人家が、この近くにないものか」
しかし山道の途中なので、人家は見当たらない。
適当な山陰に野宿の場所を探そうと思い始めていた頃、道の先に門構えが見えて来た。
「これは助かった。あの家に行き、納屋の一角でも借りることにしよう」
赤虎は子の手を引き、その家に向かうことにした。
前に立って見ると、門の間口は三間近くもある。半ば開いた扉を押し開けると、縦横二十間にも及ぶ広い中庭がある。その奥に見える屋敷は、こんな山里には似つかわしくないような大きな屋敷である。
二人は薄暗がりの中、庭の中に歩み入った。中程まで入ってみると、母屋の前に何やら黒い塊が転がっているのが赤虎の目に入った。
「あれは人ではないか」
赤虎は女児をその場に留め、己独りでその塊のような人に近寄った。
傍まで近付いて見ると、果たしてそれは老爺である。
「おい。生きているのか、爺さま」
赤虎が老爺の肩を揺すると、老爺は微かに「うう」と呻き声を上げた。
老爺は確かに生きていた。
赤虎は庭の隅にあった井戸で水を汲み、老爺の所まで運ぶ。
赤虎は老爺を抱き起こすと、懐から手拭を出し、これを水に浸した上で顔をぬぐってやった。
「しっかりしろ。爺さま」
ここで老爺がようやく眼を開く。
「鬼にやられただ」
「なに。鬼だと」。
老爺はようやく気を取り直し、事の次第を話し出した。
事が起こったのはこの日の昼である。
山向こうから一人の女がこの家を尋ねて来た。しかし、元々顔見知りである筈のその女の様子がおかしい。