呪(まじな)い師
奥州糖部郡の三戸と二戸の境に、「釜沢」という地がある。この地は元々「樺ノ沢」と呼ばれていたのだが、これが「樺沢」となり、さらに音が訛って「釜沢」に転じたものである。
中世より釜沢の地は小笠原一族によって支配されていたが、その拠点は釜沢館であった。
釜沢館は、小笠原一族が何代にも渡り建築を引き継ぎ、天正年間になりようやく完成した館である。このように築城が長く掛かったのは、小笠原一族が、城づくりよりも新田の開発の方に精力をつぎ込んで来たためである。
永禄・元亀年間には、小笠原伊勢(信清)が山地に用水路を掘削して、農地の開墾を行った。
信清の行った地道な土木工事が実り、天正年間になると、釜沢は小領ながらも、領民を充分に養うだけの生産力を得るようになった。
天正末期の惣領は、信清の子である小笠原淡路(重清)である。
この頃、重清は齢四十六歳。
上背五尺八寸、体の重さ二十二貫の頑健な体を保ち、気力横溢の日々を送っていた。
天正十八年の夏。主館の重清の許に、叔父の吉兵衛がやってきた。吉兵衛は常楽寺後方の小さな庵で暮らしており、既に隠居の身である。
吉兵衛は本殿の脇を通り過ぎ、真っ直ぐ奥ノ院に入っていた。
重清が従者から知らせを受け、寝所から常居(じょい)(居間)に入った時には、吉兵衛は縁側に腰を下ろし、庭を眺めていた。
重清が後ろに立つと、吉兵衛は顔を庭に向けたまま口を開いた。
「長一郎。いつ見ても、ここの鬼灯の花は見事じゃな。育てているわけでも無かろうに、庭一面に茂っておる」
「長一郎」は重清の幼名で、叔父は今もその名で呼ぶ。
「なに。何ひとつ役に立たぬ草にござる。花も小さく地味な白色で、胡瓜に似てござる。実が入った後の方が赤く美しゅうござるが、しかしそれだけでござる。胡瓜の実なら食べられますが、鬼灯は何にもなりはしませぬ」
「ひっそりと咲く小さな白い花が、秋口には鮮やかな橙色の実を付ける。大人しゅう娘が、時が来れば、艶やかな乙女に変じるようなものではないか」
吉兵衛はじっと庭を眺めている。
重清は、その吉兵衛の隣に腰を下ろした。
「それも一時の間でござろう。鬼灯の実は桜の実に似た姿をしてござるが、それもかたちだけにござる。桜なら、花の咲くのを楽しみ、散るのを惜しみ、幾らか実を食することも出来まする。それに比ぶれば、鬼灯が人の心を癒すのは、ごくわずかな間のことでござるよ」
吉兵衛は齢八十になろうとする老人だ。
その老人が皺の寄った顔をさらにくしゃくしゃにして、重清に笑いかけた。
「だが、鬼灯は鬼灯なりに命を全うしておる。小さな花を咲かせたかと思えば、艶やかな橙に変じて見せる。見る者の心を洗い清めるような変わりようではないか」
年寄りの戯言で、吉兵衛が繰り返し同じことを言い始めたので、この辺で重清は話を替えることにした。
「して、叔父御殿は、今日は如何なる御用件で参られたので?」
「なに。ぬしも承知しておろう。後取りの話だ」
重清には男児が無い。正室と二人の側室がいたが、妻たちが生したのはいずれも娘だった。 しかもそれだけでなく、どういうわけか、四歳五歳までに死んでしまう。
このため、齢五十を過ぎていると言うのに、重清には後継ぎがいなかった。
このままでは、この家が絶えてしまう。
そこで、叔父の吉兵衛があれこれと「つて」を頼っては、手を回しているのだ。
初めのうちは、再び年の若い妻を貰おうとしていたが、それも叶わず、今は養子を迎え入れる方向で双方合意していた。
「親族・縁者を隅々まで見回しても、男も女も見当たらぬ。子が少ないのだ。いっそのこと、将監殿のつてを頼ったらどうだろう。同じ小笠原の血流でもあるわけだしの」
吉兵衛の言葉に、重清は首を横に振った。
「いや。それは駄目です。俺は九戸殿とは反りが合わんのです。叔父御殿もそのことは重々承知でござりましょう」
「どうしても嫌か」
「同じ小笠原だけに、却って首を縦には振れんところがござるでな。それに小笠原と言う氏族の名は同じでも、源は別でござる。我らの方が本家本流で、あちらは、もはや小笠原という家名をも捨てた者です」
「そうか。それでは致し方あるまい。しかし、今や三戸九戸の仲は険悪だ。この春の小田原攻めの時に、三戸の南部大善殿は周辺の地侍共に『参陣せずとも良い』と伝え、出陣を思い留まらせた。ところが、いざ帰って来てみれば、『関白さまの命で、糠部一帯は己の領になった』と喧伝している。これでは九戸が怒るのはしごく当然だ。小競り合いは既に起きておる。すぐにも大掛かりな合戦が始まりそうな按配だぞ。この釜沢はその九戸と三戸の狭間にある。となれば、いずれの側に付くか、考えて置かねばならぬ」
こういう話になると、吉兵衛もさすがに頭が冴えると見える。
重清は吉兵衛に向き直った。
「目と鼻の先におる目時筑前は、三戸の直臣でござる。それがしが九戸殿に付けば、即座にこやつが攻撃して来ましょう。逆に三戸に付けば、真っ先に九戸将監がここを攻めて来まする。それがしとあの男は互いに気に入らん者同士でござりますからな」
「だが、周りの者は恐らく、ぬしが九戸側に付くものと見なしておるだろう。何か手を打って置く必要があるな」
重清が漸く頷く。
「近々、筑前と会い、不可侵の約定を取り交わすつもりです。目の前の者が攻めて来ぬのは、双方にとって有難いことですからな」
「双方が人質を出すのか」
「左様です」
吉兵衛はここでぼりぼりと項を掻いた。
吉兵衛の頭頂部にはほとんど毛が無く、側頭部に幾らか残っている程度である。
「では秋月(しゅうげつ)殿か。ぬしはもはや僧籍にある母親を人質に差し出すと申すのか」
この「秋月」は重清の母親だが、既に剃髪していた。
「他には誰も居りませぬのでな。我が奥は病気がちで、日頃より寝たり起きたりの暮らしをしてござる。かと申して、側室を出したのでは、筑前が納得せぬでしょう。最も近しい者を出さねば、人質の役には立ちませぬ。こちらが実の母を出せば、あちらも相応の者を差し出すでござろう。失ってはならぬ者で無ければ、人質にはなりませぬ」
「それもそうだが・・・」
吉兵衛はそのまま口をつぐみ、庭の鬼灯を眺めている。
つい先ごろまで、吉兵衛は背筋がぴりっと立っていた。しかし、最近は急速に老いて来たのか、背中が丸くなっている。
小煩い耄碌爺(もうろくじじい)だが、しかし重清のことを案じてくれているのは確かである。
「叔父御殿。良き鮎が届いておりまするぞ。是非ともお持ち帰り下され」
「おおそうか。いつも済まぬな」
この時、近習(きんじゅ)の若侍が現れた。
この若侍は、千立(せんだつ)巳之助と言う名である。
「お屋形さま。お報せしたいことがござりまする」
「何だ。そこで申せ」
「搦手門の脇に行き倒れの者がおりました」
「死んでおるのか」
「いえ。息はあるようです」
「乞食(ほいど)か。そやつが坊主なら、常楽寺に知らせるが良い」
「いえ。己は巫女だと申しております」
「女なのか。巫女は嘘だろうな。ただの物乞いだ。捨て置けば良い」
「江刺家の巫女の弟子だと言っておりますが・・・」
ここで重清は顔を上げた。
「ふん。あの柊女の弟子と申しておるのか」
「柊女」は江刺家大滝の近くに祈祷所を構える巫女である。
世間の者は口を揃え、柊女のことと霊験あらたかだと評判する。
そのことは重清も知っていた。
重清はほんの少し思案したが、すぐに巳之助に命じた。
「なら下屋に寝かせてやれ。粥を与えて様子を見よ。死んだら無縁仏として墓地の隅に埋めてやるが良い。もし生きておれば、その時は改めて俺が会おう」
「畏まりました」
近習は拝礼をして、その場を立ち去った。
この地を通る托鉢僧や山伏は、取り立てて珍しいものではない。
行き倒れも時たまあるから、重清はそれきりその話を忘れてしまった。
三日の後、重清の許に巳之助がやって来た。
「お屋形さま。あの女子、起きられるようになりました」
「あの女子だと。それは一体何の話だ」
「流れ巫女でござります。門前で倒れていた者です」
「おお、そうだったな。そんな話もあった。口は利けるのか」
「はい」
「では早速会ってみよう」
重清は囲炉裏端から腰を上げ、下屋敷に向かった。
下屋敷は搦手門から内に入ってすぐのところにある。
その一室に筵が敷かれており、女はその上に半身を起こして座っていた。冷えを凌ぐためか、女は肩に掻巻を被っている。
女の年恰好は二十四五歳ほどに見えた。
重清は筵の脇に立ち、女を見下ろした。
「俺は小笠原淡路。この館の主だ。ぬしは巫女という触れ込みだが、それは真(まこと)のことか」
「はい。杜鵑(とけん)と申します」
「江刺家大滝の柊女の許におったと聞くが、それも真か」
「はい」
「何故道で倒れていたのだ?あるいは何処に行こうとしていたのだ?」
「師に修行を命じられ、岩鷲(がんじゅ)山に向かうところでした」
ここで重清は膝を折り、女の顔に己の顔を寄せてしげしげと見た。
「柊女の許で修行をしていたなら、卜占にも通じておろう。出来るのか」
「卜占ではなく、神託を伝えるのでござります」
「まあ、何でもよし。ではとりあえず、ぬしに失せ物探しをやって貰おう。神の声が聞こえるほどの霊力の持ち主なら、失せ物探しなど簡単だろう。もしそれが出来るようなら、ぬしを食客として丁重に扱おう」
重清の言葉に、女はほんの少し眼を大きく見開いた。
「何をお探しでござりますか」
重清が立ち上がる。
「まずは湯浴みでもせよ。下女に新しい着物を届けさせるゆえ、それに着替えるがよい。話はそれからだ」
半時の後、再び重清が杜鵑女の前に現れた。
重清は右の手に印籠を持っていた。
「これを見よ。この印籠に付いた紐が途中で切れているであろう。ここには珊瑚玉の根付が付いていたのだ。この紐が知らぬ間に切れて、俺はどこかにその根付を落としてしまった。あれは婆さまの形見の品だから、どうしても失くすわけにはいかんのだ。落としたのはほんの三四日前のことだ」
重清が印籠を差し出すと、杜鵑女は両手でそれを受け取った。
「それでは、普段通りの道筋で館内を歩いて頂けますか。いつも通る道を辿れば、この印籠が教えてくれることでしょう」
杜鵑女の言葉に、重清が眉間に皺を寄せた。
「印籠がものを言うと申すのか」
「左様でござります」
そこで、重清が前に立ち、その後ろを杜鵑女がつき従って、館内を歩くことにした。
寝所から始まり、常居、広間と移り、厠に行く。縁側廊下を渡り、本館を出て、大手門までを歩き、次は反対側の搦手門までを見て回った。
重清は搦手門の下に立つと、杜鵑女に向き直った。
「どうだ。何か分かったか」
「はい」
「あれは何処(どこ)ぞにあるのだ」
「本館の寝所から常居までに縁側廊下がござりますな。あの中ほどに中庭に下りるための踏み石がござりまする。その後ろに落ちております。あの辺りで並々ならぬ『気』を感じ取りました。根付が『あの玉はここにいる』と叫んでいたのです」
「それは真か」
「間違いござりませぬ」
ここで重清は近習を呼び付けた。
すぐさま巳之助が走り寄って来る。
「巳之助。常居の縁側廊下の外に踏み石があろう。あれの後ろを覗いて来い。俺はそこに珊瑚玉を落としたようだ。すぐに行き、結果を報せよ。我らはこのままこの門の傍におる」
「はい」
巳之助はひとつ頭を下げると、すぐにその場を立ち去った。
ここで、重清は再び杜鵑女を正面から見据えた。
「杜鵑とやら。ぬしは何故この俺がここで巳之助を待つことにしたか分かるか?俺の心を読んでみよ」
杜鵑女は重清の眼を覗き込むように見詰めた後、ゆっくりと口を開いた。
「貴方さまは、あの若侍が手ぶらで戻って来たら、私をすぐさま外に放り出すおつもりでございましょう」
重清は顔に小さく笑みを浮かべた。
「まあ、それくらいは誰でも分かる。ここからなら、すぐにでもぬしを捨てられるからな。他に気付いたことはないのか」
「もう一つのお考えは、私のことを側女か端女に出来ぬか、ということです。それで先ほどから私の頭から足先までを眺め渡しておるのです」
杜鵑女の答えに、重清は思わず苦笑いを漏らした。
「ぬしは柊女の弟子だと申したが、疑いのう破門された者であろう。下女の報せでは、ぬしの背中には鞭で盛んに打擲された痕があったという。すなわち、何か不始末を犯し、師によって罰せられ、社より放り出された者ということだ。それと」
今度は重清が杜鵑女の表情を注視する。
「ぬしの腰つき体つきを見れば、どんな破戒を仕出かしたかは一目瞭然だ。巫女らしからぬ艶かしさを供えておる。すなわち、ぬしが犯したのは情交の禁だな。巫女が男と通じたので、師に罰せられたのだ。すなわち、もはやぬしは巫女ではない。それならこの先の扱いは三つにひとつだ。まず一つ目は、ぬしに幾らか予見や卜占の才があるなら、呪い師として扱うこと。二つ目は、行き倒れの女子として拾うこと。そして、三つ目は何の役にも立たぬ者として、この館の外に打ち捨てるということだ」
重清の見立ては、まさに図星だったらしい。
杜鵑女は一瞬の間黙り込んだ。しかし、すぐさま考えを切り替え、重清を見据えた。
「私は幼き頃より江差家で修行を積んだ霊媒です。この私の心眼に誤りはござりませぬ。もしそれが違っておるのなら、淡路さまのお好きなようになさるがよろしい。ほれ。先ほど貴方さまにお借りした着物は、これこの通りお返しします」
杜鵑女はそれを言い終えるや否や、それまで着ていた小袖を脱ぎ捨てた。
小袖の下は腰巻一枚だったから、丸裸同然である。
若い女の裸身が天日の下にさらされた。
真っ白な肌と長い黒髪に、重清の眼が釘付けになる。
重清が視線を少し後ろにずらすと、下女の報告の通り、杜鵑女の背中には十本を超える打ち傷が刻まれていた。
ちょうどそこに巳之助が戻って来た。
若い女が裸になっているのを目の当たりにして、巳之助は両眼を丸くした。
巳之助はまだ二十歳に達そうかどうかという齢であったから、女子に触ったことも、裸を見たことも無かったのだ。
呆然と立つ巳之助を重清が問い質す。
「巳之助。あったのか」
巳之助が右掌を開くと、そこには色鮮やかな深紅の珊瑚玉が載っていた。
「申された通り、踏み石の裏にこれがござりました」
重清はその珊瑚玉を己の手に受け取って、しげしげと眺めた。
「うむ。これだ」
重清は顔を上げて、杜鵑女を見据えた。
「着物を着ろ。杜鵑。ぬしに部屋をひとつ与える。衣食も不足無きよう届けよう。これからぬしは呪い師として俺に仕えるのだ」
「はい。畏まりました」
次に重清は巳之助の方を向いた。
「巳之助。杜鵑殿を南館まで案内せよ。杜鵑殿は三の間に住まわす。ぬしが下女に命じ、入用な物を取り揃えさせるのだ」
巳之助は黙礼をすると、杜鵑女が着物を着終わるのを待ち、先に立って歩き始めた。
その二人の背中に重清が声を掛ける。
「杜鵑。俺はぬしを呪い師として雇うのだ。よって、ぬしに手をつけたりはせぬ。情交はぬしの心眼を曇らせるからな。俺だけでなく、男を近づけるのは厳禁だぞ。ぬしは神だけに仕えるのだ」
その言葉に、杜鵑女が小さく頷き返す。
二人の姿が遠ざかったところで、重清が独り呟いた。
「あの女。なかなか知恵が回る奴だ。もし、己が失せ物探しにしくじったら、その時は、例えこの俺の側女となってでも、この館に残ろうと考えたのだ。破戒の巫女には行くべき場所がないからだな。だからあの女は敢えて俺の前で裸を晒したのだ」
師の柊女が杜鵑女を破門にした理由は、巫女が男と交わったことだけではなく、杜鵑女の心中に打算や腹黒さを感じ取ったことかも知れぬ。
「まあ、それはそれで構わぬ。こんな時世だから、生きてゆくためには多少のことは致し方ないだろう。霊媒として神託を伝えてくれるか、敵に勝つために呪いを使ってくれれば、それはそれで良い。あるいは悪知恵を捻り出すだけでも構わぬぞ」
重清は己の言葉に合点を得て、小さく二度頷いた。
それから五日後のこと。
重清は南館の杜鵑女の部屋を訪れた。
部屋の中央には護摩壇が設けられ、炎が盛んに燃え盛っていた。
杜鵑女はその炎の前に座り、何事かを一身に念じている。
重清は部屋の入り口に立つと、杜鵑女に声を掛けた。
「杜鵑、俺だ。入るぞ」
返事を待たず、重清は足を踏み入れた。
杜鵑女が振り返る。
この時、杜鵑女は真っ白な巫女装束を身に着けていた。
「これは淡路さま。よくお出でくださりました」
堂に入った物腰である。
重清は思わず苦笑いを漏らした。
「杜鵑。随分と呪い師らしくなったものだな。つい幾日か前には、搦手門の隅に転がっていたと申すにな」
「本来あるべき姿に戻ったということでござりましょう」
杜鵑女はいとも涼しげに受け流した。
「早速、供物が積まれておる。用人共が参っておるのだな。皆何を相談しに来るのだ?」
「なに。死せる身内の話が聞きたいという類の頼みごとでござります」
「ぬしは口寄せも出来るのか」
「霊媒には二通りの者がございます。神口は神の言葉、仏口は死者の思いを伝える者です。私は神口(かみくち)で、仏口ではござりません。口寄せは仏口の者が行うことで、神口の私は死者の言葉を伝えることなど致しませぬ。出来ぬのです。しかし、生ける者が聞きたい言葉を推し量ることは出来ます。死せる者が『元気でいる』『今も想っている』と申せば、人は安心するものですから」
「ふん。ぬしの所に参る者は不安や悲しみを和らげたいから相談しに参る。だから、ぬしはただそれに応えておると申す訳だな」
「御意にござります」
「正直な奴だな。まあ、それで良い。無闇に心眼を使う必要はないからな。神の言葉は、この俺だけに伝えれば良いだろう」
ここで重清が視線を横に移すと、供物の脇に薬草らしき乾草が山と積まれていた。
「それは何の薬だ」
「酸漿根にござります。この館には、鬼灯が多く生えておりますが、その根を干したものにござります」
「何に効くのだ」
「鬼灯は全草で酸漿、根茎だけなら酸漿根と呼びます。主たる効能は咳、発熱、のどの痛み、むくみなどに効きまする」
「ふうむ。鬼灯など何の役にも立たぬと思い為して来たが、人の役に立つこともあったのだな」
「はい」
酸漿は十数束ほど積み重ねられていた。
その薬草を横目で見ながら、重清は用件を切り出した。
「さて、そこで今日のことだが、今日は俺の行く末を見て貰いに参った」
重清の言葉に、杜鵑女はゆっくりと両目を閉じ、再び開いた。
「既に神託は得ております」
「まずは目前の相談事からだ。俺は十日後に、目時筑前と人質を交わす事にした。筑前に我が方より誰を差し出せばよいか」
「もはや心は決まっておられるのではありますまいか」
「年老いた母を渡すのはさすがに忍びない。他の道はないのかと俺は尋ねているのだ」
杜鵑女が再び両目を瞑る。
今度は目を瞑ったまま答える。
「目時殿には、こちらからは北の方さまを出されるのが良いでしょう」
これで重清の方が両目を細めた。
「我が奥は病弱だ。人質の暮らしに果たして耐えられようか」
「北の方さまの身を案じるより、おようさま、お時さまの無事を重んじられた方が宜しいでしょう」
重清がたちまち渋面になる。
この「およう」、「お時」は重清の側室だが、まだ十分に若いのに、何故か子が出来なかった。子を孕むとすぐに流れてしまうのだ。
「淡路さま。鬼灯は薬草でござりますが、先に申し上げた効能の他に、まだもう一つの薬効がござります」
「なに。それは何だ」
「孕み女が食すると、たちまちやや子が流れます」
杜鵑女の言葉に、重清がしばし黙りこくる。
「奥と何か関わりがあるのか?」
ここで重清が閃いた。
「そう言えば、妻たちが子を宿すと、何故かひと月も経たぬうちに流れた。ぬしはあれが奥の仕業だと・・・」
重清の言葉が終わらぬうちに、杜鵑女が首を振った。
「そんなことは申しておりませぬ」
「言っておるではないか」
だが、妙にぴたりと符合していた。
重清はここで己の正室である「北の方」の姿を思い浮かべた。
北の方は病弱で、三十を越えてからは、寝たり起きたりの暮らしぶりである。
食が細く、肋骨が浮いて見えるほど痩せている。夜伽の方もこれまで十五年はご無沙汰だ。
しかし、北の方は日頃より側室二人の面倒をよく見ていた。
側室たちの子作りのために、手ずから薬を煎じて飲ませたりしていた。
「まさかあれが・・・」
北の方は口数が少なく、病弱なこともあって、かなり陰気な性質である。
外面では分からぬが、心の奥では思うところがあったかも知れぬ。
今の北の方には、ほとんど身寄りらしい身寄りはない。いざ重清に捨てられれば、どこぞの叢で朽ち果てるしか道はない。
もし側室に子が生まれたら、己は夫に放り出されるかと危惧したかも知れぬ。
重清が不意に北館を訪れた時があったが、そういう時に北の方は、決まって暗い部屋の中に座り、何事かを呟いていた。
「あれはもしや、側室たちを呪っていたのではあるまいな」
重清の胸には、どろどろとした疑念が噴出していた。
「お察しなされましたか」
「いや。俺は己の正妻を疑ったりなどは致さぬ」
しかし、言葉とは裏腹に、重清の心は重く沈んでいる。
「まあ、とにかく、ぬしは『奥に行って貰え、それが最善の策だ』と申すのだな」
「はい。この城山の冷気に晒されるよりも、平(ひら)城の目時館に移られる方が、北の方さまの体に宜しいでしょう」
「あれの具合が良くないのは、ここの寒さだと申すのか。それなら、ひとまず聞くべき話ではある」
確かに理由の一つにはなろう。
釜沢館は吹き降ろしの風の通り道になっており、四季を通じ強風に晒されている。
その風が北の方の体に悪影響をもたらしているとすれば、北の方を平地に移すことで健康が回復するかも知れぬ。
年老いた母親を行かせるよりも、正室を差し向ける方が、重清にとってもまだ気が楽だ。
「淡路さま。目時筑前がこちらに渡すのは、疑いのう正室です。それなら、こちらも同格の者を出すべきでござりましょう」
「それが三つ目の理由か。よし。ぬしのその話はひとまず聞いて置く」
ここで重清は、腰を下ろし、床の上に胡坐を掻いた。
「杜鵑。次はもっと大きな話だ。三戸殿と九戸将監の仲がいよいよ悪しくなりつつある。程なく合戦になるやも知れぬ。この小領の釜沢が生き残るにはどうすれば良いのだ。ぬしの見立てでも神託のいずれでも構わぬ。はっきりした道筋を示せ」
この命を受け、杜鵑女は重清の真ん前で、目を閉じ、両手を合わせた。
重清が息を八回する間、杜鵑女はそのまま微動だにせずにいたが、漸く両目を開く。
「淡路さま。これまで通りで宜しいというお告げです」
「これまで通りとは?」
「九戸にも三戸にも一定の間を保て、ということです」
「どちらの側にも付くなと申すのか。ううむ」
重清は膝に載せていた手を放し、左右の掌を合わせて揉み手をした。
「しかし、ここはちょうど三戸九戸の狭間にある。両者の合戦が始まろうとする時に、いずれの側にも付かぬ訳にはいかぬだろう。双方から疑われれば、片方に敵と見なされるより厄介なことになるぞ」
杜鵑女はゆっくりと首を横に振った。
「どちらの側に付いても、敵に最も近しいのは貴方さまでござります。最初に狙われるとすれば、それは貴方さま。合戦の雌雄が決するのを見るまでも無く、貴方さまが最初に滅ぶのです。現に淡路さまは目時との間に不戦の約定を取り交わすところではござりませぬか。いずれにも加担せず、そのままじっと動かずにいて、大勢が決まる直前に勝ち側に回れば良いのです」
「そんな卑怯な手が通じるほど甘くはないぞ」
すると杜鵑女は膝を折ったまま重清ににじり寄り、その右手を己の両手で包むように握った。
「先んじて動き、真っ先に攻められたのでは、それこそ薮蛇にござりましょう。今はひたすらじっとしておれば良いのです。病を口実になされ。早速、明日から始めなさるのです。目時とお会いになる時も、『病を得て臥している』と申すのです」
もちろん、これでは重清の疑念は晴れない。
「では、その話を真のごとく見せるためには、これより後はいずれの側から求めがあっても、一切登城してはならぬということだな」
「左様にござります」
ここで、今度は重清の方が杜鵑女の手を取る。
「ぬしを信じてよいのか、杜鵑」
重清の問いに、杜鵑女が深く頷く。
「淡路さま。淡路さまは必ずや今を乗り切り、いずれ目時を滅ぼしまする。目時だけでなく、いずれ三戸殿をも打ち倒します。糠部に覇を唱えるのは、三戸でも九戸でものう、貴方さまにござります」
杜鵑女の話は重清が求めたものよりも、どんどん大きくなって行く。
重清は当惑しつつも、もちろん、悪い気はしない
「しかし、我が領はわずか一千二百貫扶ちだ。家来も数十人しかおらぬ。これでどうやって、あの地侍共と戦えると申すのだ」
「力を示せば、自ずと人は集まって参ります。後は淡路さまの器と知恵こそが、天命を引き寄せてくれましょう」
「ううむ」
唐突な託宣に、重清は戸惑うばかりである。
重清はその外見は剛の者に見えるが、実のところ、心中に弱気の虫が住んでいる。
破戒の巫女を拾い、意見を求めるのも、その弱気の現れであった。
杜鵑女は重清を見据えたまま、ほんの少し含み笑いを漏らした。
「私の言葉を疑ってお出でですね。では、これから証(あかし)を立てて見せましょう。私は貴方さまのことを何ひとつ存じません。でも、私の神が知識を授けてくれるので、淡路さまのことで分からぬことはござりませぬ」
重清は少しく躊躇したが、すぐにその言葉を受け入れた。
「良かろう。申してみよ」
杜鵑女が頷き、すぐさま託宣を語り始める。
「淡路さま。幼き頃、淡路さまには妹御がおられた筈です。淡路さまが八歳、妹御が五歳になられた時、ご兄妹お二人は馬淵川に遊びに行かれましたな。そこで、淡路さまが目を離した隙に、妹御の姿が見えなくなった。これに相違ありませぬな」
「なぜそのことを知っておる。誰かに聞いたのか」
だが、そのことを知る者は、この家中にはほとんどいない。ごく近しい者が数人だけだった。僅か数日で、誰かからそれを聞き出したとは到底思えない。
「名には『きち』とか『かつ』の音がござりますな」
「妹の名は吉乃(きつの)だ」
重清は即座にその時のことを思い出した。
重清らは子ども五人で出掛け、川縁で遊んでいた。しかし、ふと気が付いた時には、妹の姿が見当たらない。
川に流されていたのだ。
重清は探しに探したが、それっきり仏も上がらず、妹は消息を絶ったままだった。
「ここまでは、この館内に誰か知る者がおるだろうとお考えでござりましょうな。しかし、私がお伝えする話は、それから先のことです」
「先があるのか」
「はい。吉乃さまは今もご存命でおられます」
「何だと!」
「吉乃さまは、水に流されていたところを旅の途中の商人に拾われ、そのまま三戸のご城下に連れて行かれました。町屋で育てられ、今は子や孫と暮らしております」
余りに驚いたため、重清は言葉を失った。
「吉乃さまは城の下を三丁ほど南に下った通り沿いにある商人の家におられます。拾われて、その家の子として育てられたのですが、長じた後に、その家の後取り息子の嫁になったのです」
重清はひとつ深い息をして、気を取り直した。
「吉乃は生きていたか。生きていてくれたのか」
あれから四十年近くの間、重清はずっと妹を死なせた後悔と煩悶の中で暮らして来たのだ。
「では吉乃に会いに行こう。どうやって探せば良いのか」
「今は違う名で暮らしておいでです。ですが、町屋で『川流れの女将(おかみ)』と訊けば、すぐに判りましょう」
「よし。では早速、明日にでも俺が会いに行こう」
重清はせっかちな気性で、こうと決めたらすぐに行動に移す性質である。
すぐさま腰を上げ立ち上がろうとしたが、中腰で止まり、杜鵑女に身を寄せた。
「杜鵑」
重清は後ろから杜鵑女の肩を抱きすくめ、左掌で杜鵑女の乳房を掴んだ。
「杜鵑。ぬしは巫女ではのう霊媒だ。なら、ぬしを傍女にしても構わぬ理屈だな」
重清のこんな振る舞いにも、杜鵑女は表情ひとつ変えず、背筋を真っ直ぐ立てたままである。
ここで重清が手を離す。
「だが、それは止めて置こう。何故なら、ぬしが霊媒としての力を示せるのであれば、その方が今の俺には重宝だからな」
杜鵑女は重清に向き直り、再び正面から両目を正視した。
「淡路さま。師の柊女はこの世で最も霊力を持つ巫女です。今より前も、そしてこれより先も、あの方を超える力を持つ者は出て来ぬでしょう。その柊女でさえも、予見した未来が現のものとなったのは、四分ほどです。成るが四分、成らぬが六分です。霊媒の申すことなど、当てにはならぬのです」
「だが、と申したいのだな」
「はい。四分六分であれば、当たるか当たらぬかは二つにひとつ。少なくともそこまで近付いた、ということです。これから先に何が起き得るかなど、人の頭では計り知れぬもの。それを僅か二つの道に絞り込むことが出来ております」
「最後の最後は己の力で掴み取れ、ということか」
「左様にござります」
ここで重清が立ち上がる。
「ぬしは正直な女子だな。そしてまた、人の心を掴む骨(こつ)を心得ておる」
その重清の両目を、杜鵑女はずっと見据えている。
「淡路さま。真(まこと)が裏打ちせねば、人を動かすことは出来ませぬ。軍を動かすのは、真に強き武士(もののふ)のみです。正しき運命を導くのは、現に霊力を持つ霊媒のみでござりますぞ。九分が嘘や作り話では、霊媒は成り立たぬのです」
「確と心得た」
重清が南館を出た途端に、周囲の木々から一斉に蝉の声が上がった。
まるで重清が来るのを待っていたかのような頃合である。
「あの女子。人を乗せるのがなかなか上手いな。この俺が北奥の盟主だとか、御幣を持ちおって」
しかし、世辞を言われ嫌な気がする者はいない。
重清は、何時の間にか胸を張り、大手を振って歩いていた。 (この章終わり)
<注記>
●小笠原伊勢信清(または信浄):津軽家臣に同名の者がいるが異人。
●里:この頃の一里は、概ね七、八百㍍。
●貫:重さではなく容積の単位である。この頃、石田三成により「石」という容積単位が考え出されたが、まだ諸国には浸透していなかった。戦国末期の北奥であれば、およそ二貫で一石に相当する割合となる。