北奥三国物語 

公式ホームページ <『九戸戦始末記 北斗英雄伝』改め>

早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



北奥三国物語 鬼灯の城  

第2章 邂逅

邂逅(かいこう)
 「本当に吉乃は生きておるのか」
 重清は半信半疑ながらも、三戸の城下に出掛けることにした。供は巳之助一人で、二人とも馬での移動である。
 釜沢を出ると、すぐに蓑ヶ坂に差し掛かる。この蓑ヶ坂は北奥一の難所で、旅の者はここを越えるのに苦労する。
 重清の馬は稀に見る良馬であるから、難なく坂を上れる。しかし、巳之助の馬は非力だったから、坂の途中で動けなくなった。
 そこで重清は巳之助をひとまず下馬させ、徒歩(かち)で坂を上らせることにした。
 しかしそこはやはり人の足である。巳之助は次第に遅れ、三十間ほど間隔が開いた。
 程なく重清は坂の頂近くに達したが、その場に馬を止め、巳之助を待つことにした。
 坂道のすぐ脇には、頂上に上る小道がある。この小道を上っていくと、かなりの高所となり、二戸一帯を望むことが出来る。
 重清がその小道の入り口にいると、上の方、すなわち坂の頂の方から人の声が聞こえて来た。
 「上に誰か人がおるのだな」
 そのまま重清がじっとしていると、三人の侍が小道を降りてきた。
 いずれも腹当のみを身に付け、大小を腰に差していた。軽装ではあるが、もちろん、平時の姿ではない。
 三人は重清を見つけると、一瞬、顔を強張らせたが、重清が小袖に奴袴姿であるのを確認すると、すぐに警戒を解いた。
 そこで、重清はまず己の方から名乗ることにした。
 「それがしは釜沢館の主・小笠原淡路だ。貴殿らは何用でここにおられるのか」
 すると、三人の後ろの方から返事が返って来た。
 「これは、これは淡路さまではござりませぬか。今日はどちらに参られるのですか」
 三人の陰から若侍が現れる。
 男は上名久井館主の東中務尉信義であった。
 東信義はまだ二十歳台の半ばであるが、上名久井館の主である。かつて三戸南部家中で活躍した東政勝の孫にあたる。
 「おお。小次郎殿だったか」
 小次郎は信義の幼名である。
 東一族は祖父政勝の代に、一時広大な領地を保持した時期もあった。しかし、八戸・櫛引との争いで敗れ、その多くを失い、今では名久井周辺を所有するのみとなった。
信義が後を継いだ時の名久井領は、釜沢の半分に満たない小領であった。

 今に至る経緯(いきさつ)はこうだ。
 東政勝は南部家の家督争いが起こると、当初は九戸実親を支持していた。
 しかし、政勝は途中で考えを変え、田子信直を後継と認めるようになった。
 その理由は八戸政栄との関係である。
 南部家に家督相続問題が生じると、北信愛一派は当初から田子信直を推していた。
議論を重ねているうちに、次第にそれに賛同する者が増えて来る。
 八戸政栄は自らも候補者の一人であったが、信直を支持する側に加わった。
 東政勝はそのような情勢を踏まえ、それまでの意見を翻し、信直を推すようになったのだ。
 八戸との諍いにより、東一族は甚大な被害を蒙った。
そこで政勝は敢えて八戸政栄の側に歩み寄ることで、それまでの敵対関係を修復しようと考えたのである。
 信義に代が代わったのは、東一族がどん底の状態から、ひと筋の光明を見出した頃のことである。
信義は東一族の立て直しを図るべく、精力的に活動を始めているところだった。

 釜沢と名久井は一定の距離がある。
 境界や水の争いなども無かったから、これまで騒動が起きたことは無い。
 両家の間にはそれなりの交流もあったから、重清は信義が幼少の頃から、幾度と無く対面している。
 この信義は極めて礼儀正しい若者であるから、重清は信義のことが嫌いではない。
 「それがしはこれから三戸の城下に参るところだ」
 「それはまた何用で?」
 「商人を訪ねる」
 日用品の調達と見なしたのか、信義はそれで納得した様子である。
 「貴殿らはここで何をしておるのだ?」
 「なに。ただの見回りです」
 しかし、重清の見るところ、到底そうは思えない。
 蓑ヶ坂の高台に立って眺めると、遠くの方に名久井岳が見える。信義の所領は、その辺りであるから、この地とはかなり離れている。
 おそらく、北信愛の差し金で、南部家は常時数人の物見をこの高台に置き、二戸方面の動きを監視しているのだろう。
 今はたまたま、その物見の交替時に当たったのだ。
 (どうやら、叔父御殿の見立ては正しかったようだ。今すぐ合戦が起きても不思議ではないぞ。)
 ただし、無用な詮索は物事をこじらせる。
 また今日はこの場に長く留まっても居られない。
 この日の重清は三戸城下に目的があるのだ。
 そこで重清は敢えて相手の状況には触れず、この場を去ることにした。
 「お母上のご加減は如何かな?」
 春先に信義の母親の具合が悪かったことを、重清は聞き憶えていた。
 「今は少し良くなりました」
 「それは良かった。見舞いとして後で滋養に良さそうな物を届けさせるゆえ、お母上に差し上げてくだされ」
 「いつも頂くばかりで恐縮です」
 信義は馬上の重清に対し深々と頭を下げた。
 「なあに。お互いさまだ」
 ちょうどそこに、巳之助が馬の口を引いて上って来た。
 「漸く来たか。では小次郎殿。この辺で我らは先に進むことにするぞ」
 「はい」
 再び信義が低頭する。
 そこで巳之助が馬に跨り、再び二騎は連れ立って前進し始めた。

 釜沢から三戸までは山道が続く。
 重清は一時半を掛けゆっくりと馬で移動し、昼過ぎに留ヶ崎城下に達した。
 城ノ下の詰め所を横目で見ながら通過し、二騎は町屋の通りに入った。
 通りの中ほどまで進むと、鶴屋という宿屋が看板を上げていた。
 重清は店の裏に回って、馬溜に馬を繋ぎ、鶴屋の中に入った。
 二人が中に入ると、すぐさま主人が寄って来た。頭頂の剥げた、五十台の半ばほどの親仁(おやじ)である。
 「何か飯を見繕ってくれ。それと酒だな」
 「はい」
 商売人の愛想をよくさせるためには、まずはこちらが上客であることを示さねばならない。その辺の呼吸を、重清も十分に心得ている。
 重清はそのまま席に座り、徳利を二本空にしたところで主人に尋ねた。
 「ところで主人。この近くの商人に『川流れの女将』がおるそうだが、主人はどの家の女将か存じておるか」
 主人は即座に頷き返した。
 「ああ、それは伊勢屋です。往来を真っ直ぐ南に進むと、ひときわ大きな穀物問屋がござります。そこの大女将がそうでござります」
 「何故に『川流れ』と呼ぶのだ」
 「それは呼び名の通りでござりますよ。三四十年前に先代が馬淵川を渡ろうとしていると、橋の下を子どもが流れていたのです。幼子が溺死しているのならば不憫だと思い、伊勢屋は用人に命じ引き上げさせたそうです。ところがその子にはまだ息があった。それで、先代はその子を家に連れ帰ったのです」
 「その先代に育てられたというわけだ」
 「そうでござります。今の主人は先代の息子ですが、その娘が年頃になると、迷うことなく嫁に娶ったのです。それからでござりますね。その女将を『川流れ』と呼ぶようになったのは」
 「なるほど。川で拾われた子が、長じて大店の女将になった。そう言う話の流れなのだな」
 それなら、状況的に見て、その女将が重清の妹である可能性がかなり高い。
 重清は早速、その伊勢屋を訪れることにした。

 二人は再び馬に乗り、通りを南に進んだ。
 二丁ほど先に進むと、鶴屋の主人が言った通りに大店が見えて来た。
 正面には大看板が掲げられており、そこには「伊勢屋」の文字が躍っていた。
 季節がら、この時期の穀物は小商いと見え、店の表門は半ば閉じられている。
 重清は店の裏手にある馬留めに馬を繋ぐと、正面に戻り、玄関に入った。
 「御免。それがしは釜沢の小笠原淡路と申す。主人はおるか」
 番頭らしき男が会釈をして奥に入る。
 程なく同じ男が戻って来た。
 「主は別の店の方に出ておりますが」
 「では女将を呼んでくれ。巷で言う『川流れ』の人だ」
 再び番頭が奥に入る。
 折り返し、中年の女が姿を見せる。
 女は小袖を重ね着して、さらに上衣をまとっている。頭は丸髷で、働き者らしくこざっぱりした姿をしている。
 品の良さそうな佇まいだ。
 年の頃は四十歳台の前半で、これも重清の妹に年恰好が合致する。
 「私が伊勢屋の女将でござります」
 女は重清に深々と頭を下げた。
 「つかぬことを尋ねるが、女将は『川流れ』の者だと聞く。その時のことを女将は憶えておるのか。もし憶えていたら、その時のことを教えて欲しいのだが」
 唐突な質問だが、女将は合点が行ったとばかりに頷いた。いつも他人から問われる話なのだろう。
 「私が憶えておりますのは、伊勢屋に連れて来られてからしばらく経った後のことです。どうやら川に落ちた際に頭を打ったようで、いつどうやって川に落ちたかとか、その前はどのような暮らしをしていたかなどは、とんと分かりませぬ」
 「身内のことも誰一人憶えておらぬのか」
 「私と変わらぬ年の男兄弟がいたような記憶がありますが、はっきりとは」
 「名は分からぬか」
 「確か、名に『まつ』という音があったような気もしますが・・・。そこまででござります」
 ここで重清は「ふう」と溜息を吐いた。
 もはや確信を得たのだ。
 「女将。その『まつ』と申すのが、この俺だ。俺の初めの名は千代松で、九歳くらいまではそう呼ばれていた。その後は長一郎と名乗り、今となっては千代松と言う名を憶えておる者はほとんどおらぬ。女将。俺はぬしの兄だ」
 「えっ」
 ここで重清は、幼き頃に馬渕川に遊びに行ったこと、そこで妹が姿を消したことを女将に話した。

 「今は何と言う名かは存ぜぬが、ぬし本来の名は吉乃と申す。我が一族は、『吉』か『清』いう文字を好み、これを名に入れる。我らの叔父は吉兵衛で、祖父は吉右衛門と申すのだ」
 「突然のことで、何と申し上げて良いのかは分かりかねます。まさか私に肉親がいたとは・・・」
 重清の家でも、馬渕川のかなり下流まで捜索したのだが、まさか娘が三戸の町中に連れて行かれているとは考えなかった。
 吉乃が行方不明となり、十日が経ったところで、重清の父は捜索を諦め、葬式を出したのだった。
 「俺はただ己の妹に一目会いたくて、ここに参ったのだ。もし女将が妹の吉乃なら、俺が数十年に渡り抱えてきた苦しみが、きれいさっぱり洗い流されるからな」
 これまで、重清は妹を溺れさせた重荷を背負って生きて来たのだ。
 あの時、重清は魚を掴むことに熱中していた。そのせいで、妹のことを少しの間失念したのだ。重清が妹のことを思い出し、後ろを振り返ると、その時既に妹の姿は無くなっていた。
 重清はその時の夢を夜毎に観て、幾度と無く魘(うな)されてきたのだった。

 「貴方さまが私の兄(あに)さま・・・」 
 女将はじっと重清の両目を見詰める。
 「はは。ぬしのその目つきは、父そっくりだ。残念だが、父も母ももはやこの世にはおらぬのだがな」 
 この店の番頭が傍で二人の様子を見ていた。
 「あれま。本当だ。こうして見ると、お二人はよく似ておられます」
 その話が聞こえたのか、それまで少し離れていた巳之助が歩み寄る。
「お屋形さま。間違いござりません。お二人はまさしくご兄妹でござりますよ」
 異口同音にそう言われ、女将の顔が次第に上気して来た。
 「まさかそんなことが本当にあるのかしら」
 ここで重清は今回の経緯(いきさつ)を話すことにした。
 「我が館に祈祷師がおる。その者は江刺家の柊女の下で修行した者だ。その祈祷師によると、死んだ筈の妹がこの町で生きていると申すのだ。その者は神霊によりその言葉を授かったと言う。そこで俺は早速それを確かめに参った。仮に妹がおらぬとしても、それは従前と変わらぬ。もし、言葉の通り妹が生きておれば、その分丸儲けだからな。こうして来て見ると、ぬしは我が妹に間違いない。しかし、本当に吉乃が生きていたとはな。良かった。本当に良かった。これで俺の心が晴れた」
 重清は女将に歩み寄り、その手を取った。
 「小笠原さまが私の・・・」
 重清が首を振る。
 「女将。これからは、俺のことはただ兄さまと呼べばよいのだぞ」
 みるみるうちに、女将の両目に涙が浮かぶ。
 「私にも肉親がいたのですね」
 二人は手を取り合って、板間の上がり端に腰を下ろした。

 半時の後、重清は伊勢屋を後にした。
 往来にはかなりの通行人が出ていたので、二騎は一列に並び、元来た道を戻った。
 馬上の重清は後ろの巳之助に声を飛ばした。
 「巳之助。あの杜鵑はどうやら本物のようだな」 
 「杜鵑女さまは世間によくいる『騙り』ではござりませぬ。私の母は、長らく腰痛が持病でしたのに、杜鵑女さまはたった一度診ただけで治して下さいました。朝夕、杜鵑女さまに言われた薬草を煎じて飲むだけで、母の腰はすっかり治ったのです」
 「祈祷師であり霊媒であり、薬師(くすし)か。使いようによっては、かなり役に立ちそうだ。巳之助。けして不足無きよう杜鵑の身の回りの世話をするのだぞ」
 「畏まりました」
 往来には沢山の人が出ていた。
 旅の商人もいれば、侍や町人たちも忙しく行き来している。
 この町は北奥で指折り数えられる程の大きさであった。

 天正十八年の秋。収穫期が始まる前に、釜沢と目時の間で人質の交換が行われることになった。
 日にちをここまで延ばしたのは、専ら杜鵑女の宣託に従ったものである。
 大風(おおかぜ)が近付いているのか、朝から強風が吹き荒ぶ。
時折、雨がバラバラと降っては、唐突に止んだ。
 交換の地は青岩で、釜沢と目時の中間にあり、かつ道又にも程近い。
 釜沢方、目時方とも、人質は館主夫人一人ずつで、各々に従者が一人従う。その従者も女人とする取り決めである。
 人質の交換を終えるまで、各々を警備する護衛が必要だが、これも双方五人ずつに定められていた。
 人質は館主夫人ゆえ、荷物・調度類の持参も必要である。このため、双方牛車一台ずつを用意し、当地で牛車ごと交換することとしてある。
 一行は強風に外套をはためかせながら、ゆっくりと進んだ。

 重清一行が青岩に着くと、一丁先に人だかりが見えた。目時方は、先にこの地に着き、釜沢方を待っていたのだ。
 重清はまず伝令を発し、この日の段取りを確認させた。この伝令が戻って来ると、次が本番で、漸く人質の交換となる。
 双方から同時に牛車が出発し、中間で交差する。この時には、双方が人質に対し護衛一人のみを付ける決まりである。
 重清は供侍を付けずに、自らが馬に乗って牛車の脇に付いた。
 牛車の上には、重清の妻と侍女の二人が座っている。二人とも、重清の方に視線を向けようとはせず、下を向いていた。
(心細いのか、あるいは、この処遇に不満を持っているのか。まあ、その両方だろうな。)
 ここで重清は妻に声を掛けた。
 「雪路。目時館ではきちんと取り計らってくれよう。案ずるな」
 双方が同一の条件であるから、悪しき取り扱いを受けることはない。
 しかし、重清の妻は夫にまったく視線を向けずに低い声で呟いた。
 「長一郎さま。雪路は恨みますぞえ」
 だが、こればかりは致し方ない。
 重清が前に向き直ると、先方からも同じように、牛車が近付いて来る。 
御者の陰に隠れてよく見えぬが、牛車の後ろの荷台には、目時方の正室と侍女が乗っている筈である。

 間合いが五間まで近付いたところで、重清が荷台の上を確認すると、相手の牛車には侍女らしき若い娘一人だけが座っていた。
 「おい。奥方殿はどうしたのだ」
 重清が騎馬侍に声を掛ける。
 目時の侍は、その全身を黒い外套で覆い、頭には黒頭巾を被っていた。
 重清はその者がてっきり侍だと思い込んでいたが、どうにも様子が違う。
 「お前は・・・」
 頭巾の隙間から覗く両の眼は、明らかに女人のものだった。
 その女人が口を開く。
 「貴方さまは、小笠原淡路さまでござりますな」
 強風の中でも、声がよく通った。
 目時館主夫人は牛車には乗らず、自ら馬に跨って来たのだった。
 「如何にも。それがしが釜沢館主の淡路だ。そなたが奥方殿だったか」
 馬上の女人は、じっと重清の眼を見据えている。
(この女子は、どうやら気丈な性質らしいな。)
 強風を恐れ、馬が嘶(いなな)く。
 女人は動ぜず、馬を「しいし」と宥(なだ)めた。
 その女人に重清が問う。
 「今日は馬で参られたのか」
 「牛車では相手のことがよく見えませぬ。この高さからなら貴方さまのことがよく見られます。では参りましょう」
 ここで重清は味方の御者に己の命を伝えた。
 「よし。そのまま進み。我が奥を目時館まで連れて行くのだ。無事送り届けたら、ぬしは館に戻り、この俺に首尾を報せよ」
 「はい」
 再び牛車が動き出す。
 二台の牛車は互いに擦れそうな近さですれ違うと、各々が向かうべき陣に進んだ。
 双方が陣中に相手の人質を迎え入れると、交換は終わりである。
 双方は互いに相手に背中を向け、己の館に引き上げ始めた。
 重清は妻の牛車が去って行くのを、じっと見守る。
 牛車が次第に遠ざかり、芥子粒ほどに小さくなった頃、重清の脳裏に妻が言った言葉が蘇った。
 「雪路は恨みますぞえ」
 重清はその言葉を振り払うかのように首を振り、馬の口を返した。 

 ちょうどその頃。
 釜沢館の南館では、杜鵑女が縁側廊下に立ち、外を見ていた。
 「これから夜にかけて大風が吹く。まるで、これからこの地に起きる騒乱の前触れのようだの」
 城の用人たちによって戸板が閉められようとしているのか、館のあちこちからがたぴしという音が響いていた。

 大風は夜半に来襲し、強い雨風で糠部一帯が大きな被害を受けた。
 崖崩れで道が塞がったり、橋が流されたりしたので、重清はその修復に三日を費やした。
 これが漸く落ち着き、釜沢領内が徐々に平常に戻ろうとした頃、重清は寺館に足を向けた。
 時刻は未の刻。昼下がりである。
 この日は晴天で、空が真っ青に晴れ渡っていた。
 寺館の敷地の片隅には、離れ屋がひとつある。重清はこの庵に人質を住まわすことにしていた。
 この離れ屋の名は、「有情(うじょう)庵」と言う。
 重清が有情庵に近付くと、家の前で女二人が筵を編んでいた。
 うち一人は十二三歳の女児で、これは侍女である。もう一人は三十歳に届くかどうかの年恰好である。すなわち、こちらが目時館主夫人ということだ。
 「こちらに着いたばかりなのに、精の出ることだな」
 重清の声に、女人が顔を上げた。
 頭巾を取った顔は、この辺りではなかなか見られぬほどの美形だった。
 色白の肌に加え、その双眸は深山に流れる渓流のように清々しい。
 「奥方殿。そなたは筑前殿のご内儀としてはお若いな。筑前殿は五十を過ぎた齢であろう」 
 女人が立ち上がる。
 秋口ゆえ小袖を二枚重ねていたが、着物の裾がほんの少し割れ、脹脛が覗いた。
 柔らかな肉付きが、重清の眼に突き刺さる。こちらも顔と同様に真っ白だった。
 「私は桔梗と申します。亡くなった筑前の前の内儀は私の伯母に当たります」 
 「では、祖父(じい)さまに筑前殿の後添いになることを命じられたのだな」
 前の正室は早くに亡くなったが、恐らくは筑前との間に子を儲けていた。
その血の繋がりを少しでも損なうことの無きように、正室の父親は孫娘を後添いとして差し出したのだ。
 すなわち、桔梗の輿入れは、姻戚の影響力を保持するための政略結婚であったのだ。
 「幾つの時に輿入れなさったのだ?」 
 「十六にござります。でも、果たして私は妻と言えるかどうか・・・」 
 含みのある言葉である。
 「それは一体どういうことなのだ?」 
 「ふふ。女子の口からは申し上げられませぬ」
 桔梗は作り上げた筵をくるくると巻き上げ、家の中に運ぶ。
 重清は桔梗の背中に視線を向けたまま、先ほどの言葉の意味を考えた。
 (あの女人が申した「妻とは言えぬ」とはどういうことだ。)
 ここで重清は目時筑前の姿を思い浮かべた。
 筑前は病弱で、表には滅多に出て来ない。
 留ヶ崎城へ出仕するのも、多くは隠居した父親か叔父で、己は館内に閉じ篭ったままらしい。
 実際のところ、筑前はほとんど寝たり起きたりの状態なのだろう。
 (なるほど。「妻とは言えぬ」は「夫婦ではない」という意味だ。夫婦はかたちだけで、その実は男女の交わりが無いということなのだな。)
 しかし、それをことさら口に出して言うとは、桔梗はよほどあけすけな気性なのだろう。
 「まあ、女子が十年以上も独り寝同然であれば、さぞ己の熟れた体を持て余しておることだろう」 
 重清は無意識のうちに声に出して言ったので、侍女が顔を上げて重清を見た。
 再び家の中から桔梗が外に出て来る。
 生身の女として眺めると、またさらに数段好ましく思えて来る。
 腰の肉付きや胸元の張り具合など、男盛りの重清には、奮い付きたくなるほどだ。
 (いや。いかんいかん。この女子は人質だ。斯様な相手に欲心を燃やしたところで、ただ面倒ごとが増えるだけだろう。)
 極力、距離を置く方が無難である。
 「桔梗殿。我が館では、桔梗殿は客人でござる。入り用な物があれば、何なりと用人どもに申し付けてくだされ」
 重清の言葉を受け、桔梗が深い返礼をした。腰を屈めたため、襟の間から胸元が覗いたが、これがまた見事な柔肌である。
 重清は思わず眉間を顰(ひそ)めていた。

 有情庵を出たその足で、重清は南館の杜鵑女の許を訪れた。
 重清が入り口に立つと、奥の方から「バシャ」「バシャリ」と水の音がする。
 「水垢離の行を行うておるのだな」
 重清は声を掛けずに板間に上がり、廊下に向かった。
 杜鵑女は風呂場の一角を水垢離場として、日夜、水行を行っている。
 廊下を奥に進んだところで、ちょうど水音が止み、拍手の音が響いた。
 重清が足を止め、廊下で待っていると、程なく杜鵑女が顔を出した。
 人の気配に気付いたのだ。
 杜鵑女は白衣(しらぎぬ)一枚の行者衣のみを身に着けている。その白衣はすっかり濡れそぼり、杜鵑女の肌に貼り付いていた。
 「淡路さま。こちらにお出で下さりましたか。少しお待ち下さい。着替えてから参ります」 
 杜鵑女は平然とそう言うと、重清に向かって拝礼をした。
 堂々とした立ち振る舞いで、水で透けて見える体を隠そうともしなかったから、重清の方が眼のやり場に困るほどであった。
 重清は視線を外に向け、小さく頷く。
 ここで杜鵑女は重清に背中を向け、再び水垢離場の中に戻った。
 程なく再び杜鵑女が現れた。
 この時の杜鵑女は、小袖に白藤紋の袴を身に着けていた。
 江刺家から持参していたものと見られる。
 「お部屋の方に参りましょう」 
 「いや。ここで構わぬ。ここは日差しが暖かで心地良いからな」
 重清は縁側廊下の端に腰を下ろした。
 「ぬしもここに座れ」
 主にそう言われても、立場上、杜鵑女が重清の隣に腰掛けるわけには行かない。
そこで杜鵑女は廊下の床の上に膝を折って座った。
 「杜鵑。ぬしの霊視はよく当たる。神の啓示か霊の言葉かは知らぬが、それは一体どのように得られるのだ」
 重清が横を向くと、杜鵑女は重清の顔をじっと見ていた。切れ長の眼の奥に光が瞬く。まるで、相手の魂を見極めようとするかのような奥の深い光り方である。
 「例えて申しますなら、それは壁に響く音に過ぎませぬ」
 「壁の音?それは何だ」
 「まずは厚い土塀の向こう側で、誰かが壁を叩いているとお考え下さい。こちらに届くのは、その音だけです。ですが、様々な音を耳にしているうちに、それを叩く者がどういう者かが分かるようになります。大人の男が叩くのと、小さな子どもが叩く音は違って聞こえましょうぞ」
 「まあ、そうだな」
 「そこから先の知見は修行によって得られます。壁を叩く者がどのような者で、何を伝えようとしているのか。それを音の大きさ強さや調子で量るのです。修練を積み重ねるうちに、向こう側から聞こえる音がどんどん大きくなります。そうすると、次は頭の中で光景が見えるようになります。あちら側の者が伝えたいことが、音に聞こえ、眼でも見えるようになるのです」
 「ふうん。ぬしはこれから起きることを、心の眼で見ているから、確信を持って口に出来る訳なのか」 
 「はい」
 「霊媒とは、あの世の言葉を聞く力を持つ者なのだな」
 重清のその言葉を、杜鵑女は即座に打ち消した。
 「違います」
 重清が横を向くと、杜鵑女が真っ直ぐ重清の眼を正視していた。
 「力などではござりませぬ。ただ注意深く耳を欹(そばだ)てているだけでござります。よく聞こえぬことも、聞き間違えることもござります。けして思うままにはならぬのです。思うままに使えぬ限り、けして力などではござりますまい。この世には『己には霊力がある』と喧伝する輩が多くおりますが、総てが紛(まが)い物です。この世で最高の祈祷師である柊女さまでも、正しく見通すことが出来たのは四分でした。あの世とこの世の間には、斯様に厚い壁があるのです」
 「だが、これまでぬしの申すことは的確だったぞ」
 杜鵑女が小さく首を振る。
 「偶々(たまたま)に過ぎませぬ。人には生まれつき定まった運命(さだめ)などござりませぬ。人が神霊の導こうとする道を歩まぬからでござります。人は多く己を過信し、神の声に耳を傾けぬのです。今、淡路さまは私の言葉を聞き入れて下さっています。淡路さまと私の息が合っておるので、事態が上手く回っているのです」
 杜鵑女の言葉は、世間にいる霊媒や祈祷師の類とは確かに違った。
 大半の者は「我は神の使いなり」と自称する。「我は神なり」と言う者までいる。
杜鵑女は神霊を重んじる者であるのに、むしろ霊力を否定していた。
 そのことで、重清は杜鵑女のことを好ましく思う。しかし、その反面、頭のどこかには、それも破戒の巫女が己を篭絡する手ではないかと疑う気持ちもあった。

 「杜鵑。俺はぬしの申した通り、目時と人質を取り交わした。この先はどうすればよいのだ」
 「待たれませ」
 「何を待つのだ」
 「その時が来るのを待つのです。いずれ必ず好機がやって来ます。その機を逃すことなく掴み取れば、貴方さまには必ず道が開けます」
 「それは何時頃のことだ。またその機に何をせよと申すのだ」
 「いずれ必ずこれという時が参ります。その時が参ったなら、私がお知らせします」
 「そうか。それなら承知した」

 この時、館を取り囲む木々から、時を同じくして一斉に蝉の声が上がった。
 重清は蝉の声のする林の方に視線を向けた。
 「蝉は秋口に土から這い出して来て、羽を生やしたかと思うと、すぐに土に落ちて死んでしまう。空を飛び、樹に留まって啼いていられるのはほんの僅かな間だ。それだけで蝉は一生を終える。果たしてそれで蝉は生きることに幸せを感じられるものなのであろうか」
 重清が何気なく横を向くと、杜鵑女がやはり己の顔を注視していた。
 「淡路さま。蝉が幸不幸を覚えることはござりませぬ。ただの虫なのです。死ぬ前に子孫を残そうと、伴侶を求めて必死に泣き叫んでいるだけです」
 「果たしてそうであろうか」
 「そうです。血を繋ぐことだけが、蝉が生きることの意味なのです」
 「人はそうは行かぬ。我が父信清は、己の一生を田畑の開墾のために尽くした。己の領からは飢え死ぬ者を出すまいと思うていたのだ。毎年毎年、気候は悪くなって行く。五月まで霙が降り、八月の終わりには初雪が落ちる有り様だ。父は多くを成し遂げて、釜沢の民は飢えずに暮らせるようになった。父の代で、この地の田畑は凡そ二倍になったのだからな。そこで、我らは生きるために食う、食べるために働くことだけでのう、人生の意味を考えるようになったのだ。子どもらに字を教え、物の道理を学ばせるようになった。ところがそうなったらそうなったで、今度は他領から盗人が入り込むようになって来たのだ」
 永禄から天正にかけては、天候不順の年が多く、奥州一帯で不作が続いた。
 釜沢では、長年にわたり土地を改良し、作付けを工夫していたから、食に困ることはない。
 しかし、その食料を狙い、他領から盗賊が入り込んでは、百姓から食を奪っていく。
 そればかりではなく、男たちを殺し、女を犯す。そんな事件が毎年のように起きるようになった。
 信清が死ぬと、重清はまず釜沢の防備を固くすることを考えた。
 四方の境界に見張りを置くと共に、守備隊を組織し、何時でも出動出来るようにした。
 釜沢の民は凡そ七百七十余人で、その内二十家系が半士半農である。重清はその家系から三十名を正式に士分として取り立て、交替で境界を監視させるようにした。
 規模は小さいが、ひとまず常備軍を作ったのである。
 守備隊は季節を問わず、東西南北の境界に立ち、侵入者を見張っている。
 とりわけ警戒が必要なのは、収穫の直後である。取り入れたばかりの穀物を狙い、野武士ばかりか、他領の百姓までもが強盗団に早変わりするからだ。
 農閑期には、その守備隊が村々に出向き、百姓たちに読み書きや武術を教える。
 いずれも、純粋に釜沢の民を守るための改革であったのだ。

 杜鵑女が口を開く。
 「淡路さま。淡路さまは正しきことを為されておられます」
 「本当にそうであろうか」
 「ただ、物事には常にふたつの面があります。ひとつのことが表と裏のふたつの意味を持つのです。正しきことは悪しきこと。悪しきことは正しきことでもあります」
 杜鵑女は、ひとの眼(まなこ)から視線を外さずにものを言う、
 重清は杜鵑女の表情を見ているうちに、この巫女がこの館に来た時よりも、血色が良くなっていることに気が付いた。
 頬は桃色で、唇は鮮やかな紅色である。
 地の肌が白いから、いっそうそれが際立って見える。
 「きれいは汚い。汚いはきれい。幸福は不幸で、不幸は幸福。それらは常に表と裏なのです」
 杜鵑女は端的な言い方をしたが、重清はすぐにその意図を理解した。
 「なるほど。去(こぞ)年、我が領に討ち入った者たちは、津軽郡から流れて来た者たちだった。あやつらは己の身内を食わすために、わざわざこの地までやって来たのだ。己の村の近くで押し込みを働くのは、さすがに忍びないからな。やったことは悪辣だが、彼奴らはいずれも身内にとってすれば、良き父であり兄だったことだろう」
 それはちょうど一年前の秋のことだ。
 十二人の盗賊が釜沢の村に押し入り、収穫したばかりの米麦を奪い取った。
 そればかりではなく、男三人を殺し、村の娘たちを強姦したのだ。
 重清は直ちに出撃し、蓑ヶ坂で足を止めていた盗賊たちに追い着いた。
 盗賊は皆百姓で、こちらは侍三十騎であったから、釜沢兵はいとも容易く賊を討ち取ることが出来た。
 重清は盗賊総ての首を落とし、馬渕川の川原に首級を晒した。そこは奥州道からも見える場所だったから、もちろん、見せしめにするための行為である。
 「よくお分かりでござりますな。まさにそのことです。今は斯様な時世ですから、時として人を殺(あや)めることも避けられませぬ。ですが、こんな時世だからこそ、表と裏の両方に思いを巡らすことが重要なのです」
 程なくこの年の収穫期を迎える。
 この年も一年を通じ冷涼な年だったから、他領では作柄が芳しくない。
 そんな中、釜沢では山の畑に蕎麦や雑穀を植えていたから、食糧に困ることはない。
 そのことは他領の者の羨望を招き、盗賊共の標的にもなり易い。
 元々、釜沢では収穫期が来ると、士分百姓の隔てなく畑に出る慣わしである。
しかし、近年は盗賊が横行しているため、盗賊への防備を欠かすことが出来ない。
秋には一人でも男手が欲しいところだが、これは致し方ない。

 杜鵑女が言葉を続ける。
 「裕福な家に生まれた息子が、苦労を知らぬまま我侭に育ち、親兄弟のことを顧みなくなることもござります」
 「それが幸福は不幸で、不幸は幸福ということか。何が幸いし、何が不幸を招くかは分からぬのだな」
 「はい」
この時、漸く杜鵑女は重清から視線を外し、外の方に眼を向けた。
 そこで重清は杜鵑女の様子をじっくりと眺めることにした。
 搦手門の前で倒れていた時、杜鵑女は襤褸雑巾のような有り様で、がりがりにやつれていた。
 しかし、今では顔つき体つきとも、ふっくらとしている。
 (この女。ここに来た時と違い、今は穏やかな顔をしておる。)
 女呪い師の話す言葉には、物事の道理が通っている。それを聞いていると、重清はあたかも老練な導師と話をしているかのような心持になる。
 しかし、杜鵑女の外見はと見れば、まだうら若き娘であった。
 (俺はこの娘に初めて会った時に、当初は打算や腹黒さを感じた。強(したた)かな女子だろうと見たのだ。しかし、今はそういったものを何一つ感じぬ。柊女の許では、この女の身に一体何が起きたのだろう。)  
 重清は杜鵑女が柊女の許を訪れた理由や、破門になった経緯(いきさつ)を尋ねたくなった。
 杜鵑女の横顔は、つい先ほどまでとは違い、今はごく普通の娘と何ら変わりない。
そんな姿を眺めている間に、重清は心を変えた。
 せっかく杜鵑女が穏やかな心持でいるのに、それを己が壊してしまうのも興醒めである。
 何時の間にか、重清はこの女人に好意を抱くようになっていたのだ。
 (まあ、何も今すぐ確かめなくとも良いわけだな。また後にしよう。)
 重清は杜鵑女の過去を詮索するのを止めることにした。
 「杜鵑。巳之助には、屹度(きっと)、杜鵑の世話をするよう言い付けておる。何かあれば直ちに巳之助に言うが良い」
 重清の言葉に、杜鵑女は床に両手を付いて、深々と頭を下げた。

 重清は南館を出て、主館に向かった。
 館の周りからは、蝉の声が盛んに聞こえて来る。
 重清は足を止め、暫しその声を聴いた。
 「蝉の命は七日から十日。あと少しでこの声も静まろう。さすれば秋も一気に深まる。齢を重ねるごとに、時の経つのが早くなって行くようだ」
 ここで蝉がまるで示し合わせたように、ひと時に啼き止んだ。
 重清は再び歩き出し、このひと月に起きた出来事を振り返った。
 「ひと月かそこらの間に、俺は様々な女子に出会うたな」
 まずは死んだと思っていた妹に数十年ぶりに再会した。そのことで、重清の心を暗くしていた重石(おもし)が取れ、今は晴れ晴れとしている。
 そして今、釜沢館の中には、新しい女人二人が暮らすようになっている。
 一人は桔梗。目時筑前の妻で、人質である。もう一人は杜鵑女。これは霊媒であり呪い師だ。
 二人とも男の気を引かずには置かぬような、なかなかの器量の持ち主であった。
 それぞれに会う度に、男心が引き込まれそうになる。
 「だが、どちらにも手を付けるわけには行かぬぞ」
 片方は敵方の人質で、もう片方は霊媒だ。
 人質の方は、日頃よりとかく対立しがちな目時筑前の正妻だった。
 人質に手を出して、もしそのことが目時方に知られれば、必ずや報復が待っている。
かたや霊媒を抱けば、その本来の霊視に支障を生じさせてしまう。肉欲は心眼を曇らすからだ。
 糠部はいよいよ緊張しており、いずれ戦に向かうこと必至である。周囲の状況を見極めるためにも、杜鵑女にはいっそう心眼・霊感を高めて貰う必要がある。
 刻々と移り行く時局の趨勢を、この霊媒の力で正確に読んで貰わねばならぬのだ。
 「分かってはおるが、しかし、あの二人はどこか男心を焚き付ける魅力がある」
 この四十男は、弥(いや)が上にも欲心を掻き立てられてしまっていた。 

 しかし、重清にとって、今はそれどころではなかった。
 まずは今年の収穫を無難に終えることが第一である。
 恐らく今年も盗賊団が釜沢に襲い来るだろう。その盗賊たちの手から民と穀物を守る必要があるのだ。
 「そして、その次は四戸のことだ」
 釜沢の東隣は四戸中務の持ち分だが、この数年、釜沢・四戸双方の領民の間で、度々争いが起きていた。
 幸いなことに、この度、三戸側の目時筑前と人質を交換することで、この方角のいざこざが落ち着いた。
 これで、いま暫くの間は、目時への守りに煩わされることは無くなる。
 「いずれ四戸とは決着を付けねばならぬ」 
 重清は草履を脱ぎ捨てると、丹田に力を込め、主館の板間に駆け上がった。(この章終わり)

◆注記
「四戸」:今の金田一を指す。金田一は江戸になってから出来た地名で、戦国末期にはまだない。

ギャラリー

寺舘山
寺舘山

坂下を奥州道(陸奥道)
坂下を奥州道(陸奥道)

城の下(釜沢用水)
城の下(釜沢用水)

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