◎過去記事を「書庫1」に移しました
記載が長くなりましたので、過去記事を「書庫1」に移転しました。
「古貨幣迷宮事件簿」 書庫1
→ 書庫1はこちら(クリック)
希少品種、未勘品については、「同型のものが存在する」という情報が非常に重要です。
数十枚程度の存在が確認できないと、「銭種として確立するのが難しい」という理由があるからです。
このため、そういう情報をお持ちであれば、下記フォームにてご連絡下さい。
記事に情報を追加させていただく場合があります。
※追加記事にさせていただく場合、「ハンドルネーム+画像」としますが、初期のご連絡の際には実名を告知してください。
これは悪戯を避けるためと、情報を再確認する必要があるためです。なお、メルアド、お名前の記入が無い場合は、こちらには着信しないシステムになっております。
なお画像にも権利がありますので、ご自身の所有品でない場合は送付しないで下さい。
※このページに掲載されている画像も転載不可となります。
また、既に収集、研究活動を停止していますので、古貨幣に関する議論は展開しません。前提として「分からなかった」という報告のみを記載するものだとお考え下さい。この後発展させることはありません
プロバイダにより、こちらからのメールが届かない場合があります。
数日経ってもメールが届かない場合は再度この連絡フォームにてその由と別途連絡方法を指示してください。
新着記事を追加する度に、過去の記事を下に送ります。
6月期 売却品のご案内 ※終了しました <27日午後6時〆切>
出版費用の調達(積み立て)のため、コインを代理売却し、その代金の寄付を受けることとしております。
<販売方法>※前回と概ね同じですが、若干の変更があります。
イ)入札開示品については6月23日より申し込みを受け付けます。27日午後6時〆切とします。
落札者には、当日または翌日までにご連絡します。
ロ)即売品は当HPの通信欄か、メールにて在庫を照会して下さい。折り返し、在庫状況を回答します。(今回、即売品は無く、総て入札方式となります。)
別の画像が見たい場合は、その由をご連絡いただければ、直接、送信するか、「品評」欄に画像を掲載します。
ハ)落札もしくは在庫が確認され次第に、送金口座をお知らせします。着金確認後の発送となります。
代金の内訳は
・品物の代金(税込)・送料の合計額となります。
送料は「定形外クッション封筒」「書留・簡易書留」で宜しいのであれば、一律450円としますので、お得です。また重量のあるセット品については宅急便700円とします。
この他の発送方法をご希望の時は、実費にて承ります。
また、合計額が7万円を超える場合は、送料は無料です(サービス)。
受注確定後、1~3日内に発送します。
ハ)返品
品物に何らかの瑕疵があった際には返品を受け付けます(10日以内)。
「気に入らない」という理由では、返品を受け付けませんので、事前によく検討してください。
一括販売品と複数セット出品につきましては、全体価格ですので、返品をお受けしません。 これはサービス込み価格であることと、「品物を別の品と取り替えて返品する」方が現実におられることによります。
返金はご指定の口座に「品代のみ」お返しします。
返品期限を設けるのは、「購入した品を第三者に売りに行き、売れない場合に返品する」方が現実におられるためです。
配送中に生じた欠損については、配送会社の責任となります。また、補償のない配送方法をお望みの場合、発送にて免責となります。
※なお文言が漏れているケースには、旧「雑銭の会」の会則に従って判断します。
なお、今回は割引サービスを実施することにしました。
購入金額が十万円を超え、二十万円未満の場合 :▲5%
二十万円を超え、三十万円未満の場合 :▼10%
三十万円を超えた場合 : ▲15%
大盤振る舞いとなります。
なお、今回は27日中に残余品を全品処分しますので、締め切り後の追加購入は出来ません。
<出品物リスト>
下記は入札方式による販売になります。
出品物リスト
出品番号(R01)絵銭七福神7枚組 下値17,500円
南部写しあり、改造母ありと楽しめる内容です。
R01-1 七福神7枚組
R01-2 七福神7枚組
出品番号
(R02) 八戸駒引 下値5,000円
(R03) 駒乗僧侶(背申)下値6,000円
意匠の構成は、僧侶、馬、猿と「西遊記」に同じ。
(R04) 念仏銭鉄 下値5,000円
(R05) 千里の駒 下値5,000円
R02-R05
(R06)寛永通宝 山内座 背盛異足宝 銅母・鉄2枚組 下17,000円
こちらも最終出品となります。
R06 寛永通宝 山内座 背盛異足宝 銅母・鉄2枚組
(R07) 寛永通宝 当四 江刺系密鋳銭 三種組 下7,000円
存在数自体は、称江刺銭本体よりも少ないと思います。
称江刺銭、称江刺次鋳、江刺系密鋳銭
参考 称江刺銭、称江刺次鋳、江刺系密鋳銭について
基本的に、同じ職人団全部または一部が製造に関わっていると思われます。
はっきりした違いは、銭径:(称江刺銭)>(称江刺次鋳)、
また、面背の研ぎ入れ:(称江刺、江刺次鋳)<(称江刺系)など。
金質や輪側の線条痕等、少しずつ相違が見られますが、必要に応じて手を加えたということでしょう。
(R08)寛永通宝 密鋳銭 地金替 4枚組 下8,000円
R08 寛永通宝 密鋳銭地金替 4枚組
(R09)R09 密鋳寛永 南部写 4枚組
下9,000円
R09 密鋳寛永 南部写 4枚組
(R10)密鋳寛永 南部写 俯永増郭
下7,000円
R10 密鋳寛永 南部写 俯永増郭
(R11)密鋳寛永 大頭通 改造銭 下15,000円
厚く鋳出した上で全体を研磨し、輪を広く加工してある。
通常、この先は削字を行って、母銭に加工するのだが、中途で止めてある。
不採用になったのでは。
戦前の銭箱から、浄法寺密鋳銅鉄銭と一緒に出たので、作銭の可能性は低いのだが、称浄法寺改造母銭で見られるように、外見は劣る。
R11 密鋳寛永 大頭通改造銭
(R12)吉田牛曳 各種13枚組 下33,000円
バラエティに富んでおり、楽しめるひと組。
R12 吉田牛曳 各種13枚組 その1
R12 吉田牛曳 各種13枚組 その2
R12 吉田牛曳 各種13枚組 その3
(R13) 密鋳寛永 称江刺銭次鋳 2種組
下5,500円
R13 密鋳寛永 称江刺銭次鋳 2種組
(R14) 寛永一文 八戸背千母銭 2種組
下10,000円
葛巻背千(正様)と目寛背千(目寛見寛座背千)の2種。
ただし、「葛巻鷹巣」と「目寛見寛座(藤八銭)」のカテゴリーはまだ確立されたものではありませんので念のため。
解説は当欄の過去ログに記載してあります。
R14 寛永一文 八戸背千母銭 2種組
(R15) 密鋳寛永 通用銭改造母 2種
下5,000円
密鋳銅銭の輪穿を加工し、鉄銭の母銭に仕立てたもの。
R15 密鋳寛永 通用銭改造母 2種
(R16) 絵銭 恵比寿大黒 4枚組 下7,000円
少々値下げしました。
R16 絵銭 恵比寿大黒 4枚組
(R17) 寛永一文 舌千大字 母銭
下80,000円
(R18) 寛永一文 舌千大字無背 母銭
下80,000円
(R19) 寛永一文 舌千小字 母銭
下18,000円
R17 舌千大字 母銭 R18 舌千大字無背 母銭 R19 舌千小字 母銭
舌千大字無背は『南部貨幣史』のみ記載があるようだ。
早い段階で十字千と分離したようで、書体の近似箇所が見られる。
銭径、書体から、これも早期に分離した可能性があるが、他の小字背千類とは違いが大きい。「舌」字の割拠痕があるので、大字と分かる。
存在数は数える程度。また仮に見立て違いで「十字千無背」の方に近いのであれば、当品が初見品となる。
研究してください。
(R20) 寛永一文 八戸 四年銭鋳写母銭 下85,000円
(R21) 寛永一文 八戸 見寛母銭その1 下7,000円
(R22) 寛永一文 八戸 見寛母銭その2 下7,000円
R20 寛永一文 八戸 四年銭鋳写母銭 R21 見寛 母銭その1 R22 見寛 母銭その2
R20については、見寛の「原母群」の一枚と見られる。
前回、試験的に出品し様子を見たが、誰も持っていないようなので、少々値上げした。
R20、R21は、大きさや厚さ、などに小異がある。
見寛類は、文字の大きさや書体など、バラエティがある。
(R23) 寛永一文 八戸 見寛母銭 山型極印打 下45,000円
いわゆる上棟銭ではなく、葛巻鷹巣銭座の内部で打たれたようだが、正確な用途は分からない。
(R24) 寛永一文 八戸 舌千小字 母銭その2 下18,000円
R23 寛永一文 見寛母銭 山型極印打 R24 舌千小字その2 母銭
(R25)南部絵銭 中型七福神 下15,000円
(R26)南部絵銭 中型七福神 次鋳 下8,000円
(R27)南部七福神 地金白 下5,000円
中型は小型とは意匠が異なる。
R25 南部絵銭 中型七福神 R26 南部絵銭 中型七福神 次鋳 R27 南部七福神 白
(R28)南部絵銭 中型梅松天神
下12,000円
(R29)南部絵銭 梅松天神 母 下6,000円
R28 絵銭 南部中型梅松天神 R29 絵銭 南部梅松天神 母
(R30)絵銭 梅松天神 2+1枚組 下4,000円
最後の1枚はオマケ。
R30 梅松天神 3種組
(R31)密鋳寛永 江刺系 4枚組
下11,000円
密鋳銭の面白いところは、各所に小異が生じることだ。
元の書体の特徴が弱くなりもするので、小字大字の区別が付きにくかったりする。
型分類を始めれば、「あっという間に五百種一千種」になってしまうのだが、製作が多岐にわたる分、楽しい面も多い。
R31 密鋳寛永 江刺系 4枚組
(R32)密鋳寛永 称江刺銭 基本3種組
下11,000円
称江刺銭の基本的特徴を備えたもの。
R32 密鋳寛永 称江刺銭 基本3種組
(R33)絵銭 南部大型 隆平永宝
下55,000円
正確には、絵銭というより調度品(土瓶敷)であろう。
皇朝銭や中国永楽銭等の意匠が好んで用いられた。神仏を「尻に敷く」わけには行かぬからである。栗林虎銭、大黒銭と製作が同一で、この座の調度品と見られる。
R33 南部大型隆平通宝
(R34) 絵銭 南部大型 布泉
下50,000円
古鋳品である。
R34 絵銭 南部大型 布泉
(R35) 絵銭 南部根付大黒
下50,000円
「根付大黒」は絵銭の名品であるが、これはその意匠に従っている。
R35 絵銭 南部根付大黒
(R36)絵銭 竪槌大黒手 竪槌大黒
下50,000円
「竪槌大黒手」の良く知られた銭種は「桃猿駒」であるが、その種別の基になった「竪槌大黒」を見掛けることはほとんどない。
背に「守」の文字が配置されている。
R36 絵銭 竪槌大黒手 竪槌大黒
ひとまずここまで。
余裕があれば幾らか追加することもあります。
今回は締め切り日で、完全FIXとなります。事前に開示して来ましたので、締め切り日までわずかですが、宜しくお願いします。
なお、存在数が数品のものが幾つかありますので、この機を逃さずに。
◎八戸銭の製造工程と銭種
八戸藩および盛岡藩北方(以後「八戸方面」と称す)で作られた貨幣は、今もほぼ未整理のままである。
大半の収集家や研究者が手を付けぬ理由は、まず主に通用銭が鉄で、みすぼらしいというところにある。
母銭と通用鉄銭を照合しようにも、鉄銭は面背とも不鮮明であることが多く、細部まで確認出来ない。母銭を集めるよりも、雑多な鉄銭から、当該通用銭を探し出す方がはるかに困難である。
次に「たたら製鉄」の特殊性が挙げられる。たたら炉は、炉を一回ごとに取り壊して、次の回には別の地に移って、再び炉を作り直す。
主原料は砂鉄であるが、砂鉄は溶解温度を余分に上げる必要があるので、炭を多く消費する。「一度吹く度に山ひとつ分の木々が無くなる」と言われるほどであるから、炉の場所を移すのは、燃料の確保が一因だった。
木を切っても、すぐにそれを炭化出来るわけではなく、乾燥させる必要があるから、製鉄にはかなりの準備期間と費用を要した。
ともあれ、「一回吹いたら、炉を壊す」ため、鋳鉄場所はこの地方には何百か所も存在する。砂鉄を「づく鉄」に変え、これを売るだけでなく、貨幣の密鋳も行ったから、見ようによれば、「銭座」が何百もあったように見える。
このため、この地方には「銭」や「多々良」に関連する地名が各所にある。
(これには、「ジェニ」はアイヌ語で「小さい」という意味で、「銭」は当て字だとする異論もある。)
幾人かの先人が、この地方の密鋳銭について、報告を記しているが、どうしてもひとつ一つの「炉」に関する記述となるから、非常に読み難い。
以前、資料として小笠原白雲居著になる『南部鋳銭考』を紹介したが、これを一読すると、まずはほとんどの人の感想は「難しい」ということになるだろう。
同著は「いつ頃」「どこで」「誰が」作ったという記録を集めたものであるから、それは「鋳銭ごと」「炉ごと」の話になる。炉自体を数えれば、少なくとも七百とも1千とも言われるので、収拾がつかなくなるのは当然だ。
例えて言えば、樹に沢山の葉が茂っている状態と同じだ。
葉の根元には小枝があり、その枝は太い幹から枝分かれしている。そういう中で、中心となる太い幹を探して行くのは容易なことではない。
こういう問題を解決して行く手法のひとつが「製作技法」に着目するというものだ。
密鋳銭で従来型の型分類を行うと、瞬く間に何百種という数になってしまう。
「葉の茂れるを見て、幹を知らず」ということになるわけだ。
仕上げ方の違い
通用鉄銭の見極めが難しいのなら、まずは母銭をベースに研究を進めればよい。
何事も当初から「完璧に行うこと」が難しいのであれば、ひとつ一つ駒を進めて行くしか道はない。
そうなると、最初に目につくのは、母銭の仕上げ方になる。
八戸方面の母銭は、石巻に出稼ぎに赴いた職人が母銭を持ち帰り、それを原母として汎用母銭を作ったケースがあるようで、これは基本、石巻銭と同じ仕上げ方をしている。
このうち、丁寧に仕上げたものは、輪測が蒲鉾型に研磨されている。
これまで鷹ノ巣の中核銭種とされて来た「鷹ノ巣正様母銭」はいずれもこの処理を行っている。
また、それを基に作成した母銭には、輪測を横に削ったものがあるが、これは1)銭が小さかったことへの対応、2)材料を節約する、といった目的があったものと考えられる。
この二つの処理方法は、おそらく同じ銭座内で行われた処理と見なされる。
かたや、輪測を直角に砥石で研ぎ上げたも一群もある。主に目寛・見寛といった銭種が中心となるが、これらは、一般通用銭を鋳写しして原母を作り、さらにそれを基に汎用母を作成するといった流れになる。鋳写しを繰り返すことによって、銭径が縮小するが、作業を簡便化するために、棹通しの上、砥石で研ぎ上げている。
以上の二つが工程上の出発点となり、各々は別の組織、工程を経ている。
要するに、この二つの技法は、同じ銭座で採用されたものではない。
このため、前者をイ)葛巻鷹ノ巣銭、後者をロ)目寛見寛座銭とこれまで読んで来たわけである。
もちろん、実際の存在状況を見た限りでは、厳密に分けるのが難しいものもある。
大別すると二つの系統になる
中間種のようなものもあるわけが、これは「たたら炉」が「その都度、移動して炉を築いた」という特性によるもので、要するに職人が離合集散して出来た現象と見なされる。
ここで初めて、『南部鋳銭考』を紐解く。
あくまで口碑によるものであるが、二戸(葛巻に近接)で行われた銭密鋳に関する記述がある。これによると、葛巻鷹ノ巣座で働いていた「藤八という男が、銭の密鋳を試みた」とされている。
鷹ノ巣系統の銭種
この時に作った銭が極めて小型の銭で、「藤の実」と呼ばれたこと。
この記述には拓影が添付されており、これがいわゆる目寛見寛銭だったこと。
といった根拠で、目寛・見寛という銭種を、二戸銭(もしくは藤八銭)と見なすことが可能ではないかと思われる。
目寛見寛座(二戸藤八銭)系統の銭種
藤八は鷹ノ巣で働いたことがあるから、背千母銭も所有していただろうが、原母として使えるほどの銭容ではない。このため、代用品として一般通用銭から材を取り、汎用母銭の政策に役立てたのではなかろうか。
今のところ、目寛や見寛に繋がるのは、座寛(⇒目寛)、四年銭小様(⇒見寛)、背元(⇒水永)である。中間種である鋳写し母銭としては、他に縮字や四年銭中様などがあるが、縮字の通用鉄銭は主に通用銭改造母銭を使用したものがほとんどで、四年銭中様は母銭のみで通用銭が見当たらない。要するに不採用だったということだ。
(四年銭中様の鋳写母銭も所持していたが、盗難に遭い行方不明となっている。)
とりあえず、ここまでは到達したが、この先の見解は地元を中心とする収集家、研究者に委ねようと思う。
花巻での古銭会が終わると、毎回、私はNコインズOさんに呼ばれ、藪屋で蕎麦をご馳走になった。他の収集家が同席することもあったが、二人だけのことが多かった。
その席で話したことは、八戸を含む南部銭のことで、「どういう眺め方をすべきか」という内容のことが多かった。
その中で、八戸銭については優先的に紹介して貰ったのだが、総数では三百枚に達すると思う。値段が安くはなかったので、ここはあえて「突っ込まれた」と書かせて貰う。
もちろん、Oさんには感謝の気持ちしかない。
◎元和通宝
元和通宝は、その希少さに比べると、こと「不人気」の貨幣だと言える。
その理由は、さしたる変化がなく、小字を1枚入手すれば、そこで壁に当たってしまうからだ。大字は小字とは製作が異なるし、小字よりも存在数が少ないから、お金を出しても入手出来ない。1枚手に入れればそこで止まるので、好奇心もそこで静まる。
かなり前に手に入れた品なのだが、ある収集家にこれを見せたところ、「これって鐚でないの?」と言われたことがある。
内心で「元和に鐚があるとしたら、かなりレアだ」と思ったのだが、そもそもその人は収集範囲がこの時代ではないので、率直な感想を口にしたのだろう。そういう人にとっては慶長通宝も元和通宝もさして違いはない。
時代的には、慶長が1596年から1615年の二十年弱で、元和はその年の9月から1624年までのほぼ九年の間となる。なお、元和の次は寛永で、寛永三年には寛永通宝が生まれている。
慶長通宝は長期に渡り大量に作られ、また市中に流通もしたので、鐚(私鋳)銭も多く作られた。そういう背景もあり、慶長年間には撰銭令が度々発布されている。
元和通宝は製造枚数がごく僅かで、市中にはほとんど流通しなかったことから「試鋳貨」とする見解もある。また、間を置かずに寛永通宝が作られるようになった(1636)。寛永16年には20(1643)年には私鋳銭禁止令が発布され、私鋳銭は徐々に姿を消すことになる。
要するに、製造枚数が数万枚程度に満たない貨幣が、たまたま私鋳銭の材料として選ばれるケースは、もちろん、ゼロではないが、極めてレアケースである。
元和に鐚はほぼ「無い」と見られ、つくりの違いは初鋳から末鋳に至る製造上の相違から生じていると見なす方が妥当である。実際に計測してみると、銭外径はほとんど同じである。
市場評価は様々だが、初鋳美銭は15万に届くが、普通品は7万程度となっている。
当品は手ずれているので、今回は5万円(税込)で提供するものとした。これなら仮に鐚であっても評価に違いはない。
◎金地金相場が古銭価格を追い越すのはいつ?
国際的な政情不安により、金価格が上昇している。
割と最近まで1グラム当たり5千円程度だったのが、今は6千円に届く勢いである。
中東や朝鮮半島など、これから数年の間、国際情勢が不安定である見込みで、そうなると「どこまで金価格が上昇するか」は、今後も重要な話題のひとつになるだろう。
「有事の金」は定説で、いずれグラム8千円の時期が来るのではないか。いずれにせよ、上がったり下がったりしながらも、中期的には現状より上昇するものと見込まれる。
このような情勢の下、金素材として古判金を見直してみる。
イ)金素地としての評価額とロ)骨董品としての価値を見比べた時、通常はイ)<ロ)の関係になることが普通である。しかし、前者に価格変動がある場合は、その関係が崩れる場合がある。
そこで、現状での実勢価格に関する情報を突き合わせ、どのような関係にあるかを確認してみる。
1)金地金としての価格
金地金相場は、毎日変動しているが、公示価格は常時公表されている。
ただし、グラム当たりでの評価額は、延べ棒(バー)や金貨など純度の高いものが想定されており、不純物が混じっている合金製品を持ち込む場合は、手数料を徴収されることが多い。また取引には、一定の基準量の枠があることが多い。
銀の場合は60キロ(または80キロ)と量を取りまとめる必要があり、これに満たない場合は、中間業者との取引となる。
金地金であれば、バーやコインは少量でも取り扱ってくれるが、装飾品など不純物を含む場合は状況が変わる。要するに、溶かして純度を高めるための手間賃という意味合いだろうが、最低でも500グラムくらいは取りまとめる必要がありそうだ。
しかし、どのように処分するかは、あくまで個人的事情であるから、実力は、ひとまず公示価格として置いてよいだろう。
毎日、変動するから、あくまで概算である。
また、実際に計測してみると、コンマ下2桁の台にはいくらか誤差がある。
2)古貨幣としての価格
取引価格の一応の目安をネットオークションの落札結果から拾ってみた。
しかしネットでは考慮すべき点が多々ある。
オークショナーを経由しての競りの場合、事前に真贋の鑑定が施される。
専門誌など紙媒体の入札でも、座主による鑑定を経由した品でないと掲載されないし、落札後も一定期間の返品期間が設けられる。
かたやネットオークションでは、出品者が自ら出品するし、多くは返品を受け付けないシステムとなっている。これは落札があれば、自動的に座主により手数料の徴収が義務付けられるためである。返品があれば、出品者は「ただ手数料を払うだけ」になってしまうので、多く「返品不可」を条件とする。
とりあえずネットオークションで確実に真正品と思われる品を検索してみる。
気を付ける必要があるのは、ネットには真贋不明品や明らかに贋作・参考品と思しき品が多数出品されていることだ。
今はネット中心でコレクションを進めるコレクターが増えている。
その多くは、真正品が確実な相場通り十万円の品を買うことはないが、同じ型で5万円の出品があるとすぐに飛びつく。「真贋の怪しい」品であっても、あまり配慮しないのか、割と落札されている。
コイン相場は専門誌や入札誌での売買価格が双方にとって最も確実な値段(時の相場)になっているのだが、それをあえてネットに出品するのには、それなりの理由がある。
要するに、1)真贋が怪しい、1)当座の現金が必要だ、といったことである。
買う側は、1)安く買いたい、がネットオークションを漁る理由で、要するに「掘り出し物を手に入れたい」という射幸心による。だが、もちろん、贋作・参考品を手に入れる可能性がかなり高まる。
真贋鑑定のコツのようなものは、多く収集家間で口頭で伝えられることが多いから、ネットオークションをいくら眺めていても、そういう情報は得られない。
とりわけ、同じ銭種が大量に市場に出た時には注意が必要だ。
「どこそれの蔵から出ました」みたいな話が付いていることが多いのだが、参考品が売られる時の常套句がそれだから、実際にそういうことがあったかどうかを掘り下げて調べる必要がある。
ま、「元々どこから出た品か」を確認するのは、常識の範囲になる。
割と近年のことだが、某地方貨が市場に相当数出現したことがある。やはり地元の有名収集家がよく調べ上げており、「あれはどこそれの工場で作った品だ」と仲間には教えていた。
その後、当該品は真正品として受け入れられたのだが、数年後、「偽物」と断じた収集家が本物としてその品を売っていた。要するに売買で益が出るから、口を噤むことにしたわけだ。
市場に出始めた当初は、「腐食の順番が違う」という理由で鑑定は容易だったが、20年も経つと分かり難くなる。
収集家の9割は「型分類」を志向しており、「どういう手順で作ったか」に着目する者は少ない。ネットでは、割安感があれば売れるからなおさらである。
①〜③ 元文一分金 N古銭相場 並10千円〜美20千円
④ 文政二分金 N古銭相場 並30千円〜極50千円
⑤ 文政一分金 N古銭相場 並13千円〜美16千円
1万円より下の落札があるが、ほぼ参考品のようだ。参考品割合が高いと、評価全般が低くなる。
⑥ 天保一分金 N古銭相場 並20千円〜美極30千円〜未50千円
⑦〜⑨ 天保二朱金 N古銭相場 並2千円〜美3千円
?〜⑫ 貨幣司二分金 N古銭相場 銀台並3千円〜金台美6千円
なお、蛇足かもしれないが、「表面の見栄え」が気になる人が多いようで、黄金色をした品の評価が割合高い。
しかし、いずれも金の含有率は半分程度だから、本来の地金色は、概ね銀色になる。
判金類が「黄金色に輝く」のは、そう見えるように加工処理(色揚げ)を施しているからだ。これは金座で製造した当時でも行われていた技法だから、見た目の黄金色は「印象」に過ぎない。
今でも「色揚げ」は割と簡単に出来るし、実際に行われてもいる。
3)頭の切り替えが必要
地金価格と古銭価格とを比較すると次のような結果となる。古銭相場は並品を基準とした。要するに状態によるプレミアムの無い価格である。
①〜③ 元文一分金 地金13,000 > 古銭 10,000 ※
④ 草文二分金 地金19,000 < 古銭 30,000
⑤ 草文一分金 地金11,000 < 古銭 13,000
⑥ 天保一分金 地金 9,000 < 古銭 20,000
⑦〜⑨ 天保二朱金 地金3,000 > 古銭 2,000 ※
?〜⑫ 貨幣司二分金 地金3,000〜4,000 ≦ 古銭3,000〜6,000
このうち、明らかに地金価格が古銭価格を上回るのは、「元文一分金」と「天保二朱金」の二つである。
資産形成の手段として「金貨」が優れている点は、「常に時代の貨幣価値に応じた値段で評価される」ことである。相場の上がり下がりはあるが、景気等の経済情勢に沿った動きをするので、実質的な価値が減るわけではない。
また持ち運びも便利であるから、収蔵場所に困らない。
おそらくこの後、一定期間は価格が上昇すると見込むのであれば、地金価格以下であれば、無条件で買い集めてよいのではないか。もちろん、下がることもあるが、投機的要素があるのは当たり前である。
逆に売り手の立場から言えば、地金価格より下の値段では売らないことだ。
ま、元文一分金の地金価値の高さはよく知られている。
金価格がグラム3千円から上昇の一途を辿り、5千円に近づいた時、地金価格は1万円を上回っていた。しかし、古銭の値段には、すぐには反映されないから、しばらくの間、店頭では8千円前後の値札が付いていた。状態によっては6千円の品も出ていたので、私は急いで、めぼしいコイン商を回ってみたのだが、同じことに気が付いた人がいたようで、既に割安の品は払底していた。
金の含有率も割合高いので、いわゆる「溶かし賃」の目減りも少ない。
この後は、金貨の取引は活発になっていくものと思われる。
ちなみに、買いに走るなら、なるべく直接確認できる環境で買うとよい。
ネットオークションでは、真贋の鑑定は写真だけに頼る外はない。だが、店頭に行けば、多く比重計が置いてある。
この場合、古銭としての価値は二の次で、金の含有率が分かればそれでよい。(了)
さて、出版費用積み立てのため、今回掲示した品については、即売提供するものとしました。
提供価格は「1月期 販売の押しらせ」を参照してください。
2019/12/19 [濶縁大黒・恵比寿 ─勧業場の鋳銭─
◎濶縁大黒・恵比寿 ─勧業場の鋳銭─
濶縁大黒・恵比寿は「南部絵銭」として知られている。
通常、「南部絵銭」と表記する場合は、「藩政時代の」という含意があることが前提だ。
しかし、地元収集家はこの銭種が「勧業場で作られた」ことを承知しており、幾つかの銭譜にもその記載がある。
勧業場と言えば、明治の公的機関だから、正確には「南部絵銭」ではない。
とはいえ、もちろん、収集家向けに作られた参考銭ではないことも。予め記して置く。
勧業場で「盛岡銅山銭や天保通寶、絵銭等が作られた」ことは、収集界ではよく知られているが、その活動内容の方は未だに浸透していない。
勧業場での鋳銭が果たして何だったかということについては、「当の勧業場に行って調べる」のが分かりよい。勧業場はその後、県立工業試験場となり、現在は県工業技術センターに代わっているが、組織自体は今も存在している。
それなら、そのセンターに照会すれば分かりよい訳であるが、収集界では一人もそれを試みた者はいない。
収集家は、手の上の銭と、誰か他の収集家が書いた物しか検めない傾向がある。
そこで、実際に勧業場について調べてみると、そこで起きていた出来事はすこぶる単純である。
既に記述済みであるから、勧業場の沿革については簡略化して記す。
・明治初頭(6年)に殖産興業政策の一環として、岩手県立の公共施設として誕生した。
・紡績・機織など地場産業の製品を外に向けて紹介しつつ、産業技術の発展に寄与するために、職人の育成事業を行った。
・南部鉄瓶については、地元作家の作品を博覧会や物産陳列所を通じて販売した。
南部貨幣との接点は、明治30年のことになる。
この年に、勧業場では「南部鉄瓶の鋳造技術を、教育訓練科目として取り入れられないか」ということが検討された。このため、担当職員を配置して、鋳造技術の調査と研究に当たらせた。
この時に研究されたのが、南部鉄瓶および鋳造貨幣の鋳造技術である。実際に「勧業場」という銘を打った鉄瓶が残されているから、単に記録の上だけの話ではない。
なお、勧業場内で鋳造実験が行われたのは、この年だけで、翌年からは機織工の訓練に重点が定まって行く。このため、「勧業場において鉄瓶や鋳造貨幣が作られたのは、この年だけ」と特定することが出来る。
鋳造貨幣については、これはあくまで口碑であるが、盛岡銅山銭二期三期銭、天保通寶当百銭の母銭、絵銭類が作られたと伝えられており、この濶縁大黒・恵比寿もその内の一銭種である。
当該銭種の判別は、割と容易い。
技術的に観て、銭座で採用された方法ではなく、1枚1枚を丁寧に仕上げてある。
銭座では短期間のうちに何十万枚を作るという前提に立って鋳造工程を組むが、勧業場の鋳銭は工法そのものの研究にあったから、基本的に南部鉄瓶の工法に拠っている。
要するに、ひと差ひと差を丁寧に仕上げるわけである。
鋳銭(銭座)では、母銭で型を作り、銅鉄を流し込むと、それを崩して製品を取り出すが、再利用しやすいように砂型を使用した。
勧業場では、まず母銭を作る技術を研究したが、砂型を時間をかけて焼き固め、カチカチの状態にして(陶笵)、溶金を流し込んだ。これで表面にブツブツの少ない、滑らかな製品が出来る。
製品自体は非常に美しいが、しかし、型は一度または数度しか使えず、砂を再利用するのに手間が掛かる。陶片と化した砂を砕いて砂に戻す必要があるからである。
明治30年は、岩手県教育長に新渡戸仙岳が就任した年で、恐らく新渡戸は勧業場に視察に赴いた。鉄瓶職人の中には、当然、鉄山で働いた者も混じっているから、当事者としての話が聞けた。著作の中に、「陶笵」など鉄瓶製法の用語が多く含まれるのはこのためである。
鋳銭戦門の職人であれば、「陶笵」というような言い回しは使わない。母銭の製造にあたっては、型を焼き固めて精美な品を作るのは、当たり前の行為だからである。
このことを特定できるのは、新渡戸が教育長職を務めたのが、この明治30年だけだったという事実による。
なお、勧業場は古貨幣の「偽造」を行ったわけでも、それに新渡戸が関与したわけでもないので、念のため。この手の話は、収集界のみで流れる誤謬である。
収集家はコレクションにのみ興味があり、原典に当たることをしない。
さて、当品は30年近く前に、盛岡の先輩収集家より譲られた品である。
ひと組しか存在しないので、どなたが持っていた品かは地元の者であれば分るだろう。
蔵主は「これはひと組しかない」と断言していた。
当初は表面に黒漆が塗ってあったので、私が微妙な顔をしていたのか、前蔵主は「それは錆止めとして私が塗ったものだよ。これは偽物などではないよ。何故なら、今ではこういうのは作れないもの」と言った。
素材が鉄なので、黒漆は自然に剥がれ落ちたが、実際、これと同じ物を作るのは手が掛かり過ぎると思う。
工法を研究する目的でなければ、とてもではないがやってはいられない。
銅鉄とも、各々の素材として表面が滑らかであることが最大の特徴で、「どういう手順で作ったか」を考えれば、鑑定は容易である。
銅銭は錫味の多い、黒っぽい地金を使っているので、地金と肌、湯口の大きさ(小さい)を観察すれば、この製法によるものかどうかは一目瞭然である。
従来、「花巻」という冠を付けられて来た絵銭の母体は、多く勧業場製に端を発しているものと推定される。
なお、銭座の物ではない事で悲観するには当たらない。勧業場製は精美な上に、数が少ないことから、鉄瓶などの製品は非常に高額の評価がされている。
公的機関による研究目的の品であるから、販売を目的とする「偽物」ではない。
古貨幣は「最初に裏を見ろ」と言うが、この品の裏面は鉄銭とは思えぬ程滑らかである。技術の精度に改めて驚く。
2019/12/16 小笠原白雲居 『南部鋳銭考』の開示
2019/12/16 小笠原白雲居 『南部鋳銭考』の開示
南部銭研究では『南部鋳銭考』は重要な資料ですが、あまり読まれていません。
ひとつ一つの炉ごとに記述があり、全体像を把握するのが難しいという理由からのようです。
骨子は、
1)八戸九戸あるいは二戸方面の銭の密鋳は、開始がかなり古く、文政期には始まっていること。これは明治初期まで続く。
2)私炉だけでなく、藩が関係したものもあること。
3)収集界で「葛巻鷹巣銭」と分類されている銭種は、複数の系統があること。
たらら炉はその都度に炉を壊すので、広範囲に渡り分散していることと、職人の移動・交流があるため、種銭も混じるようになったので、区別が難しくなったこと。
等々、様々な読み方が出来るようです。
一般通用銭を出自とする目寛・見寛は、「二戸(藤八)」より出発している可能性があり、今後の研究が待たれるところです。
既に版権・著作権が消滅していますので、資料として添付することにしました。
小笠原吉亮(白雲居) 「南部鋳銭考」(旧『貨幣』誌 掲載)
2019/12/16 処分売却品の開示 ※終了しました。
<販売方法>
イ)入手希望品について、在庫の照会を行ってください。
19日夕方より申し込みを受け付けますので、ゆっくり確認して下さい。
順次、個別の図と解説を追加して行きます。
複数の申し込みがあった場合は、抽選等、何らかの手段により選定します。(早い者順ではありませんので、慌てる必要はありません。)
ウェブの通信欄か、メールにて照会して下さい。折り返し、在庫の状況を回答します。 ウェブ開示前に画像が見たい場合は、その由をご連絡いただければ、直接、送信するか、「品評」欄に画像を掲載します。
ロ)在庫が確認され次第に、送金口座をお知らせします。着金確認後の発送となります。
代金の内訳は
・品物の代金、 ・消費税10%、・送料の合計額となります。
送料は、「定形外クッション封筒」「書留・簡易書留」で宜しいのであれば、一律500円としますので、お得です。 また、合計額が7万円を超える場合は、送料は無料です(サービス)。
受注後、2、3日内に発送します。
ハ)返品
品物に何らかの瑕疵があった際には返品を受け付けます(10日以内)。
「気に入らない」という理由では、返品を受け付けませんので、事前によく検討してください。
複数セット出品につきましては、全体価格ですので、返品をお受けしません。サービス込み価格であることと、品物を取り替えて返品する方が現実におられることによります。
返金はご指定の口座に品代(消費税込)のみお返しします。
返品期限を設けるのは、「購入した品を第三者に売りに行き、売れない場合に返品する」方がおられるためです。
配送中に生じた欠損については、配送会社の責任となります。また、保障のない配送方法をお望みの場合、発送にて免責となります。
売却品リスト 本体価格+消費税の合計額が売価となります。
100 江刺・江刺系統銭の内訳
ひとまず12月期はここまでとし、以下に個別の解説文を添付して行きます。充分に検討のうえ、ご判断下さい。
他にも出品を予定していたのですが、現在、消息不明ですので、追って改めて対応を考えます。
◎「古貨幣迷宮事件簿」への出品掲示について(遅延のお知らせ)
◎「古貨幣迷宮事件簿」への出品掲示について(遅延のお知らせ)
処分品を12月15日中に掲示する筈だったのですが、少し遅くなりそうです。
理由は「厳選品の箱が見当たらない」から。
よくありがちですが、紛れないように木箱に入れて仕舞ったのですが、どこに仕舞ったのかを忘れてしまいました。
金庫も開けて調べ、息子には「全部お前にやるから捜せ」と言い付けたのですが、2日捜しても見付かりません。ま、今回は外に持ち出してはいませんので、家のどこかにあるとは思います。(この項暴々鶏)
リクエストがあったものから、順次、画像を開示します。
なおメールの場合、送信から着信までの間にタイムラグが生じますので、厳密に「先着順」にはしません。よくお考えになってください。同時期に複数の申し込みがあった際には、抽選などの手段を取り、決めさせていただきます。
(15)山内座背盛 異足宝 28.9mm
解説は既に幾度もしたと思うので、簡単に記す。
かなり前に、背盛母銭を無作為に集めたことがあるが、入札誌等を通じ百枚超の母銭を入手した中に混じっていた。これはまだ「異足宝」という分類が知られていなかった頃のことである。
その当時は、地金が黄色で「これは本銭系ではないのか」と考え、以後ずっとルーツを探して来たのだが、どうやらこの辺りから山内座の異足宝が出発するらしく、類品は見当たらない。
他の収集家の蔵品を見ると、殆どが称浄法寺銭のものであり、こちらは割と見つけられる。鉄銭を選り出すことが可能だから、もっと沢山出てきて良い筈だが、「山内銭」と思しき形状の品は難穫品である。
なお浄法寺系の母銭の見分け方で簡単なのは、背盛に着目することである。多くが潰れており、少し「盛」字が縦長のように見える。
28.9mmクラスの異足宝は、他所でこれまで見たことが無い。
「どうせ分かりはしない」と価格を下げて出すのだが、やはり幾らかはきちんと観察している者がいるようだ。
おそらく、地元以外の収集家の蔵中に、それとは知られずに眠っているだろうとは思う。
なお、時間の経過と共に、古色が着き、表面色が黒く変わった。
終了しました。多数の申し込み有難うございました。
(10)江刺銭 4種組
21波は次鋳(「収集」誌に報告済み現品)。地金と輪側の鑢痕が同じですが、銭径がひとまわり小さく、面背に軽く荒砥が掛けられている。売価が安いのは、密鋳21波の価格水準で設定しているため。
俯永は永下欠輪。
既に複数の照会が入っており、抽選になりますが、他にも数セットありますので、入手機会はあると思います。(価格はもちろん違います。)
改めて画像を撮影し、正字には変化があることに気付きました。この後、研究するのは楽しいと思います。
終了しました。多数の申し込み有難うございました。
(6)仰宝米字極印打(面縦背横打)
古銭収集で大切なことのひとつは、「どこからどういう風に世に出たか」、「どこで誰がどのように作ったものか」、すなわち背景を確かめることだ。
その状況で、当該品についてより深い真実を知ることが出来る場合がある。
後者の「作られた経緯」を確かめるのはなかなか難しいことだが、前者の「氏素性を確かめる」のは、ある程度可能である。
収集家は手の上の銭にのみ関心を払う傾向があるが、出所を確かめるだけで、「確からしさ」に少し近付くことが出来たりする。
『南部藩銭譜』
『南部藩銭譜』
当品は地元古銭会長のK氏が所有していたものだ。K氏によると、その前はO氏で、盛岡の収集家から買い取った品であるとのこと。以上はあくまで言質であるが、当品は旧譜に掲載されている品と極印の形状が同じである。
新渡戸仙岳が『岩手に於ける鋳銭』を著したのは、明治30年頃から昭和9年までの期間で、その間、幾度か草稿を書いている。最初が明治30年だと断定出来るのは、「岩手県教育会」とキャプションが打たれた原稿用紙を使っているからで、新渡戸が教育長の職にあったのはこの30年だけである。
最終稿が昭和9年稿であるが、これを詳細に読んだのは、盛岡に住んでいた収集家の数名で、このうち一人A氏が活字に直したものを、東京のB氏が中央に紹介した。ところがそのB氏はA氏の個人的解釈のみを要約したので、内容がうまく伝わらなかった。
A氏は『岩手に於ける鋳銭』が「大正3年に書かれた」と書いていたりするから、解釈は事実を調査せずに憶測で書いたものと言える。
また「新渡戸が勧業場に作らせた」というのも、多くA氏の記述によっている。
きちんと事実を書くべきだが、新渡戸が晩年、生活に困窮したのは事実で、とりわけ戦争中には他の者と同じように苦しんだ。
手元にあった「勧業場製の盛岡銅山を売ろうとしていた」のを見た人がいるという言質もあるが、これは昭和十六年以降の話になる。
ところが、勧業場において、二期陶笵銭が作られたのは、これも明治三十年のみである。
これを特定するのも簡単で、その年にしか鋳造実験は行われていない。これは勧業場(工業試験場)の事業史を調べれば、簡単に分かる事実である。
そうなると、県の教育長だった新渡戸が、まったく別の管轄になる勧業場に赴いて貨幣を摸鋳させたことになるが、もちろん、行政機構はそのようには出来ていない。
さてA氏の憶測をB氏がさらに膨らませたので、収集界には「新渡戸仙岳が古銭を贋作した」などという珍説がまかり通っていたし、今もそう思っている収集家がいる。
原典にあたることをしないのは、単純に「面倒だから」で、確かに誰かの説を引き写しにした方が楽である。
かなり前に、収集の先輩のK村氏に、「様々な品があるように迷うのは、勉強が足りないだけ」と言われたことがあるが、まさにその通りだと思う。
現在の収集家で、『岩手に於ける鋳銭』を読んでいる者はどうやら皆無らしい。
読んだつもりの者でも、概ね『岩手公論』のレビュー版程度だろうが、一般向けの大雑把なレビューは自ずから内容が異なる。
新渡戸の『南部藩銭譜』などは、県立図書館でも眼を通すことが出来るのだから、足を運んで見るべきだ。
仰寶や背盛母銭に米字極印が打たれた品については、この『南部藩銭譜』や昭和戦前の銭譜を見れば、簡単に分かる。
その理由は、「ほぼ一手しか無い」からだ。
ここでさらに理解が必要なのは、「収集家に売るための贋作極印は、昭和40年代以降のもの」ということだ。
米字極印打を珍重し、評価するようになったのは、戦後、とりわけ昭和40年代のコインブーム以降の話で、それ以前は金銭的な評価はされなかった。
それでも、戦前から極印銭は存在している。そのうちの幾つかは上棟銭の類であろうし、幾つかは縁起銭だろう。それと木戸銭またはトークンとして使用されたものもある。
私はかなり前に、十和田で戦前のウブ銭を何本かまとめて入手する機会を得たが、そのうちの2本は総て打刻銭だった。
丸十、丸一が多くて8割がそれ。それ以外には、菊をあしらったものや米字に似たものなどがあった。
盛岡のK岸(骨董力)さんに聞くと、「丸一、丸十は盛岡周辺で打たれたもの」という話で、実際、店頭の古銭に40枚位の打刻印銭が置いてあった。
要するに、明治以降、戦前期において、刻印・極印を寛永銭に打って、何らかの用途に使うという風習は、ごく普通のことだったのだ。
偽物を作ろうとして作ったのではない。
その前提を理解すると、米字極印銭は「当地の風習の中で作られたものの一種」であるというように解釈できる。打刻印・極印銭は、銭座の中だけで打たれ、使われたわけではない。
その中で、「橋野銭座で使われたと思しき打極印銭」にどのようにアプローチするかは、難しいようでいて、実は簡単な話だ。
発見した人たちが見出した品に「最も近いもの」を捜せばよいということだ。
ここで、ようやく「ほぼ一手しかない」という話に戻る。
K会長とO氏とで幾度か協議したことがあるが、そこでの結論は「橋野銭座に結び付く可能性があるのは、この型」だということになった。理由は前述のとおり、旧譜にはこの一手しか掲載されていないと言うことに尽きる。
ところで、大正年間には、「背下点盛」銭が珍重されており、昭和初期には既に贋作が報告されている(『南部史談会誌』)。この銭種は、大迫で発見された書体の違う1枚以外は、総てが「ただ一人の所蔵庫より出た品である」という事実がある。
このような背下点盛(当時は降点盛字)と異なり、打米字極印銭は様々な収集家に認知されており、拓本が残されているが、こちらは「基本的な型が同じである」。
二者の状況はまったく違うことがこれで分かる。
米字極印の型については、これまで幾度も報告して来た。
ネットオークションで見る品は、ほぼ後作品ばかりで、出品者もそれと承知しているのか、非常に安価に出ている。
もはや再び、見方が分からなくなっているのかと思う。
試しに本物としてはかなり安価な設定で出してみたが、やはり反応がほとんど無い。
所詮は「古銭の収集家」などその程度とも思うわけだが、やはり気付く人も幾らかいる。
本物に近づけそうな品を入手するのは、「入札やオークションで買ってみる」以前に、「資料原典をあたる」ことと「氏素性を確認出来る品を捜す」ことだろうと思う。
南部銭が知りたければ、『岩手に於ける鋳銭』の、できれば昭和9年稿に眼を通すことだ。
これは地元に照会すれば、おそらく資料を提供してくれる。ボリュームが多いので、費用は出るとは思うが、昭和以降の解説書を読んで「誤謬を得る」より、はるかにましだ。
「面縦背横の方が少ない」などと言う人もいるが、そんなことはどうでもよい。
まずは「どう理解するか」を考えることからだろう。
当品は、K会長から「あんたが研究しろ」と渡された一連の品の中のもので、かなり高額だったが、売却価はそれより低く設定した。
「どうせ分かりはしない」と収集家を小馬鹿にしたためだが、やはり気が付く人も幾らかいる。
前回掲示の別品との相違点は縦横の棒の太さで、それを一手と見るか、二手と見るかくらいだ。よく見ると、全体が潰れているから、要するに何のことは無く、「使っているうちに山が潰れたため」ではないかと思う。全体の形状、バランスには違いが無い。
終了しました。多数の申し込み有難うございました。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
以下、順次追加して行きます。
売却処分品のご案内 (終了しました。) 2019/10/23
前回の関係者向け譲渡の際に、電線事故により、通信回線が不通となりましたので、多くが不成立となっております。
改めて、暴々鶏(出品提供者)知人を中心に一般向けにも販売する方法で、再度、以下のスケジュールで開示するものとしました。
1)蔵主への直接注文の受付 11月10日まで
雑銭の会、南部古泉研究会の会員、および過去に暴々鶏(出品者)と面識のあった方は、本人に注文してください。この場合、消費税が掛かりません。
2)「古貨幣迷宮事件簿」への売却品掲示 11月初旬から順次開始、2週間程度。
一般の方の申し込みを受け付けますが、ウェブ経由の場合、消費税10%が加算されます。
暴々鶏は古銭会を主催していましたので、信用はあると思いますが、不安を感じる方は購入をおやめ下さい。トラブルの元です。
3)11月中旬にて、直売を中止し、入札誌等の媒体に下値を5〜10%下げて出品します。
よって、それまで待つという選択もあります。
<売買の進め方>
イ)入手希望品について、在庫の照会を行ってください。
ウェブの通信欄か、暴々鶏個人にメールするか、Cメールにて照会して下さい。折り返し、在庫の状況を回答します。 ウェブ開示前に画像が見たい場合は、その由をご連絡いただければ、直接、送信するか、「品評」欄に画像を掲載します。
ロ)在庫が確認され次第に、送金口座をお知らせします。着金確認後の発送となります。
代金の内訳は
・品物の代金、 ・消費税10%(一般販売の場合)、・送料の合計額となります。
送料は、「定形外クッション封筒」「書留・簡易書留」で宜しいのであれば、一律500円としますので、お得です。
また、合計額が10万円を超える場合は、送料は無料です(サービス)。
受注後、2、3日内に発送します。
ハ)返品
品物に何らかの瑕疵があった際には返品を受け付けます(10日以内)。
「気に入らない」という理由では、返品を受け付けませんので、事前によく検討してください。
返金はご指定の口座に、品代のみお返しします。
返品期限を設けるのは、「購入した品を第三者に売りに行き、売れない場合に返品する」方が実際におられるためです。
配送中に生じた欠損については、配送会社の責任となります。また、保障のない配送方法をお望みの場合、発送にて免責となります。
10月23日開示品 30日くらいに続伸
連絡先
◆「古貨幣迷宮事件簿 販売品」の通信欄に直接書く。(必ず届きます。)
◆jimukyoku@goemonto.rexwjp までメールする。
◆暴々鶏個人まで連絡する。 ※一般向けには公開していません。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
数日経っても返信がない場合は、着信していません。再度連絡してください。
記載のない場合は、前提として雑銭の会方式で対応します。
「銭種」として見るのには躊躇するが、何となく気になる品について情報を集めてみました。
各文の作成時期が違うので、文体が「です・ます」、「である」が混在していることを予めお断りします。
(1)仰寶 背盛様
まずは鉄銭から。
最初に南部背盛とマ頭通の特徴について記します。
分類上は背の「盛」字の有無と、「通」頭の特徴で分けられます。
しかし、鉄通用銭では、砂抜けの悪い品が殆どです。盛字該当箇所の盛り上がりだけ分かるものが多いです。
面文は、背盛、マ頭通とも同一人が書いたので、書体がよく似ています。
通頭が潰れていることがありますが、分類名のその部分よりも、寶足に着目すると分かりよいです。
背盛の場合は、寶後ろ足が内郭まで突っ張っていますが、マ頭通ではすんなり下に降りています。
さて、最初の「変な品」は、面文は仰宝なのに、背に字があるように見える品です。
盛字部分が盛り上がっており、一瞬、「背盛か」と思うのですが、引っくり返すと仰寶です。
これは、たまたま鋳溜りが出来たのだろうと思われます。
南部背盛とマ頭通の相違
南部仰寶 背盛様
(2)マ頭背盛
面文は背盛の書体で、寶後足も郭に伸びていますが、しかし、通頭が「マ」に見えます。
「たまたま母銭の通頭に欠損が生じ、変化した」とみなすのが普通ですが、「マ」字は割と鮮明なので、こういう母銭があるのかもしれません。
マ頭背盛
マ頭背盛
(3)仰寶の背「蛇の目」様
山内(幕末明治初年の浄法寺)銭では、母銭を大量に自作しましたので、様々な変化が生まれました。基本は4、5通りですが、細かく見るとさらに小変化したものがあります。
当品は、背輪が幅広となり、内輪が詰まっています。一文銭に「蛇の目」という銭種がありますが、それに近い銭容まで輪が広がっています。
仰寶の背蛇の目様
(4)研ぎのある大頭通
外見上は文政期の銭に酷似しているが、面背に研ぎが入っており、文字が潰れ、内郭が広がっている。重量が6.82グラムあり、普通の当四銭より1グラム重い。
このため、先輩収集家からは、「偽物では?」という指摘を受けた。
ところが、あえて伏せて置いたのだが、当品は秋田県鹿角地方のウブ銭から出たものだ。
今回、輪側を調べてみたが、粗い横鑢が入っている。「粗い」のは装置で無く手で掛けたことなので、要するに密鋳銭ということである。
研ぎのある大頭通
縦横の鑢の工程上の違い(概念図)
面背に研ぎを入れるのは、山内座に時折見られる仕上げ方法である。銅鉄母子とも、面背を削ったものが散見される。
この品を意図的に削ったのは、「重量が重過ぎて不自然だった」ということであろう。厚さの調整がうまく行かず8グラム超の出来銭となったので「削った」。
分かってみれば簡単で、かつこれを作るための母銭はボツ(不採用)になったと考えられる。
(5)穿に四角い棹を通した離用通
一見すると文政期の通用銭である。しかし、少し違和感があるのは、穿内の形状である。
角が切り立っており、明らかに穿内に四角い棹を通している。
文政銭では、銭を逆蒲鉾型の粗砥で前後に擦るから、縦鑢の痕が残る。この場合、穿に通す棹には無頓着で構わない。
穿にぴったり合うように四角い棹を通すのは、横鑢か、密鋳銭に見られる斜鑢の時である。
輪側を確認すると、磨耗のためよく見えないが、斜めに鑢痕が残る部分と、幾らか縦に痕のある箇所が混在していた。縦は湯口部分だろうと目されるが、現状では、ひとまず「よく分からない」として置く。
穿に四角い棹を通した離用通
(6)文久仕様の寛永銭
もはや6年ほど前のことになるが、ある知人の収集品を預かり、処分を代行することになった。
知人は物故しており、品物を残しても仕方がないから、1)収集家が買いやすい価格設定とした上で、2)グロス販売するものとした。「グロス販売」とは1品1品に値段を付けて、売れるものから売って行くのではなく、品物を一定量抱き合わせにして、「山売り」する方法である。
値のつかない雑銭が沢山ある場合は、グロス計算で処分した方が、結果的に売れ残りが減るし、合計額自体が高くなる。かたやバラ売りをすると、少数の品物だけを高く売れ、大量のデッドストックが残ることになる。
難物は雑銭で、寛永銭なら枚単価25円程度、その他は30円前後とし、千枚単位で競りに掛けた。
未整理品が多数含まれていたから、ウブ銭に近いが、それならかなりお買い得である。
文久永寶も6千枚近く扱ったが、やはりコレクターの少ない銭種なので、売れ残りが出る。
そこで少し値を下げたが、やはり売れ残る。
「売り切り」を条件に品を預かったので、2度値下げをして売れない場合は、私の買取となる。
ウンザリする瞬間だが、それも仕方がない。
1千枚くらいの文久の藁差銭を引き取った。
半年くらい放置していたが、整理箱に入れようと考え、持ち上げると、藁が切れ、床にバラバラと銭が散らばってしまった。二重三重にウンザリした。
溜め息を吐きながら、1枚1枚拾い上げると、その中に寛永銭があった。
文久銭のみ藁差の中に、寛永銭が1枚混じっていたのである。
製作は「まるっきり文久銭」でペラペラの作りであるから、安政銭とも密鋳銭ともまったく違う。
慌てて、残りの差を点検すると、同様の品がもう一枚あった。
1枚目がこれ。灰白色の地金で薄い作りである。
輪側が磨耗しており、鑢痕は鮮明ではないが、仕様自体は文久銭のものである。
2枚目の方が、より文久銭に似ており、地金はもちろんのこと、文字の潰れ具合や、輪側の歴然とした横鑢など、文久銭の中に入れるとまったく見分けがつかなくなる。
文久仕様の寛永銭
数年後、先輩収集家にも見て貰ったが、「寛永銭に『文久様』という分類があるが、これが本来の『文久様』だな」とのご意見であった。
これまでもおそらく発見されていたのだろうが、みすぼらしいので着目されなかったのではないだろうか。あるいは、横鑢なので、「出来の悪い安政(または密鋳)銭」と見なされて来た。
しかし、密鋳銭を専門的に集めている者から見ると、当品は「東北地方の密鋳銭とは材質からして違う」という見解になる。
取るに足らぬみすぼらしい銭だが、文久期に寛永銭を作ったのが事実なら、これまでの記録を訂正すべきだろう。
史実は雑銭箱の中にある。
文久仕様の寛永銭
売却品 その2 8月25日〆切分 2019/08/13以後順次追加
※FAX電話のコネクタに異常があり、現在、通信が出来なくなっております。応札はこの通信欄から行うか、Eメール、Cメールで行ってください。
こちらは8月25日24時締め切り分です。
8月で不在のこともあるかと思いますので、ここまでにして置きます。
続きは、入札専門誌にて。
よって、「知人のみが参加出来る」のは、この回までです。
2-05 寛永通宝 南部マ頭通 母銭・銅銭 下値65,000円
左から①②本銭系の母銭が2枚。うち一枚は元々、純白でした。
③中央は山内座の斜穿母。たまに小型の通用銭を見かけますが、この特徴は母銭からのものです。
④山内座の黄銅銭で、雑銭から出たもの。母銭を作ろうとしたが通用銭にしたもの。
⑤別座(鉄銭座)の母銭。
2-5 南部マ頭通 母銭・銅銭5枚組
2-04 山内座 背盛異足宝 母銭3種+鉄通用3枚 下値75,000円
背盛異足宝は山内座固有の銭種です。
母銭の地金は黄銅で、当百銭の次鋳黄銅母に対応しています。
2-04 山内座 背盛異足宝 母銭3種
2-04 山内座 背盛異足宝 鉄通用3種
通用銭は、じっくり山内銭を検分すれば見付かると思います。
母銭左は最大径で、これより大きな同銭種を見たことがありません。30年位前、まだ「異足宝」が認知されていない頃に一般入札で入手しました。
中央も「黄銅母」として入手したのですが、後で見るとこの銭種でした。
母銭はいずれも伝世で、「称浄法寺写し」とは製作がまったく違います。
通用はいずれも雑銭から拾ったものです。
この銭種が分かったので、山内座鉄銭の地金の判別が容易になりました。
2-03 八戸 舌千他3種 母銭 下値85,000円 オマケ付
①舌千大様(字)母銭、②舌千小様(字)母銭、③葛巻背千母銭の3種組。
仲間相場で、①8万〜、②2万〜、③5千ですが、かなり下から始めます。
ここは買い時だと思います。
2-04 八戸 舌千他3種母銭
2-04 八戸 舌千他3種母銭
舌銭類の通用鉄銭の大様(字)、小様(字)各1枚をオマケに付けます。
母銭はお金を張れば概ね買えますが、鉄銭を入手するのは、至難の業です。
とりわけ背の鋳出しが悪く、それと分かる品は滅多に見付かりません。
ある意味、母銭より入手が困難な銭種と言えます。
舌千大様(字)、小様(字) 通用鉄銭 (サービス)
2-02 天保銭 3枚組(その2) 下値15,000円
①大字の写し(非浄法寺)、②③称浄法寺銭2種の3枚セット。
天保銭3枚セット(2) 下値15、000円
2-02 天保銭3枚セット その2 下値15,000円
2-01 天保銭 3枚組(その1) 下値45,000円
いずれも本銭です。
地金や極印である程度の分類が可能になります。
よく分かっていないのは、栗林銭と山内銭の判別方法です。
天保銭3枚 下値 45,000円
天保銭3枚組 下値45,000円
栗林で3万枚、山内で30万枚が製作されたと書かれています(新渡戸)ので、その通りであれば1:10の割合の存在比になります。
中字には、小字の六出星極印、桐極印に近似した極印が打たれたものがありますが、桐極印はそれ以外にもあると考えられます。
今のところ、手がかりは、極印と「やや薄手であること」「小さい」という特徴くらいしかありません。
出版費用の積み立てを目的として、暴々鶏氏より、古貨幣の寄贈を受けましたので、これを開示します。
暴々鶏氏によると、「なるべく知人に渡したい」という意向ですので、次の通り、入札方式で譲渡するものとさせていた出来ました。
参加できるのは、
1)旧雑銭の会で会員登録があった方
2)南部古泉研究会の登録会員
3)個人的にお付き合いのあった方、となります。
(※一般の方は参加できません。)
購入を希望する方は、ここに掲示した「お問い合わせ」欄その他の方法で、期日までにご連絡ください。 申し込みの締め切りは、8月20日の24時となっております。
※過去の例会販売方式と同一ですので、詳細は省略します。
01 花巻恵比寿大黒 表
01 花巻恵比寿大黒 裏
2 元入り駒手 駒引き と同製作のメンコ銭
3 南部 根付大黒 写し
4 大迫駒引 背大 鉄
5 南部大型布泉
6 文久貨泉 半百 手替
7 仰宝米字極印打 ※これが本物です。
8 密鋳 神社奉納用 鉄銭
9 栗林 大型 隆平通宝
参考) 新渡戸仙岳 『南部藩銭譜』 掲載拓
10 密鋳銭 2種 (文久様と大字写)
訂正) 2を「元入り駒」と記載してありますが、正確には「元入り駒手 駒引き」です。字が欠落していました。
なお、出品数を絞っているのは、お盆期間に当たっているためです。
以下、余裕があれば、順次追加します。
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