天正十九年三月十五日の朝、南部信直は、突如として鳥海古城を出発し、三戸に向け撤退を始めた。
宮野城の七戸家国は、三戸南部の主力軍が十分に遠ざかってから、未の刻に進軍を開始し、一戸城を包囲した。工藤右馬之助は、配下の鉄砲隊に、北秀愛を狙撃させる。
北信愛と東中務信義の連合軍が背後から近づいたことを悟った七戸家国は、直ちに全軍に撤退を命じた。
北信愛が本丸に入ると、秀愛は板間に横たわっていた。信愛は直ちに、息子の負傷の程度を医者に尋ねる。 医者は、北秀愛がもはや再起不能であることを信愛に告げる。
翌三月十六日の昼過ぎ。宮野城では、昨夜帰城した七戸家国を加え、軍議が開かれた。
七戸家国は、北信愛が発注した鉄砲百五十挺が、上方を既に出発したことを報告する。政実は、輸送隊を志和と岩手の間で襲撃することを命じる。
疾風は、岩泉から疾風の下に参じた東孫六、平八、権太夫と共に、岩手郡に向かう。
疾風一行は、途中の沼宮内で一泊するが、そこで毘沙門党のお蓮と、かつて疾風が危機を救ったお芳に出会う。実は二人は姉妹であった。
一行が渋民下田にある権太夫の家の近くに到達すると、権太夫の家は毘沙門党の襲撃により焼け落ちていた。
権太夫の家族を葬った後、疾風一行は日戸館に向かった。
日戸館では、疾風は主に対し、三戸方に加わるべきことを進言し、自らは配下を脱し、宮野に参じることを申し出た。内膳は、葛姫を娶ることと、玉山重光(常陸)を悩ます鬼を退治することの二つを条件に、疾風の離脱を認めた。
疾風一行は、玉山小次郎の案内で、鬼の棲む山に登るが、そこにいたのは鬼ではなく、雛にも稀な美女であった。疾風はこの女人の命を救い、これを「仙鬼」と名づけ、六人目の仲間として迎え入れる。