平泉中尊寺は九戸戦とはまったく関わりの無い地のようですが、意外な縁があります。
第2次奥州仕置の際、惣大将として羽柴秀次が旧大崎領まで遠征しました。
この時、この地は伊達政宗の所領でした。
これより前、伊達政宗は大崎一揆を陰で扇動していました。このことが露見しそうになり、政宗は秀吉の責めを受けます。
政宗は何とかこれを免れましたが、その代わりに米沢から旧大崎領への国替えをさせられたのです。
九戸戦の頃には、政宗は岩出山城を本拠としていました。
この中尊寺白山神社には神楽殿があります。
この建物は後代のものですが、能楽は16世紀に始められたもののようです。
案内看板には、「中尊寺の能楽は、羽柴秀次と伊達政宗がこの地で能楽を鑑賞したのが始まり」と書かれています。
羽柴秀次がこの地を訪れるのは、奥州仕置きの時だけで、能楽を楽しめるのは「遠征が終わりになるから」ということ、すなわち九戸戦の直後ということになります。
おそらく、蒲生氏郷らを出迎えるために、2人は平泉まで赴き、そこで遠征軍の帰還を待つ間に能楽を鑑賞したのだろうと考えられます。
(この辺は資料がまったく見当たらないので、あくまで推測です。)