北奥三国物語 

公式ホームページ <『九戸戦始末記 北斗英雄伝』改め>

早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



九戸政実と九戸党

九戸政実とその直臣の人たち

九戸政実    ”北奥の天枢星”

九戸政実
九戸政実

 九戸左近将監政実(56歳)。

 二戸宮野城の城主で九戸から二戸一帯の領主。
 六尺(約180cm)を優に越える長身の持ち主。豪胆で武芸に秀でている。
 盟友関係にあった三戸南部と闘うことになったが、、「敵は三戸ではなく、羽柴秀吉」と考えている。北奥の民を案じ、手を尽くす。
 父は信仲、弟に九戸隼人正実親、久慈中務政則、中野修理康実、中野(九戸)正行らがいる。
 子は、鶴千代(後の市左衛門)、亀千代、他数人。

 注)政実の弟の 1人、中野正行は、伊保内館主であった九戸正行と同一人物だと考えられます。正行は中野氏に入り、本来の後継であった中野正為を放逐しました。

九戸実親  

 九戸隼人正実親(はやとのしょうさねちか、49歳)。
 政実の弟で、豪胆かつ気さくな性格で、宮野城の誰にも好かれている。

 落城の前夜、宮野城の兵の大半は、岩谷橋から脱出する手筈となっていたが、実親は「わしは逃げるのは好かん」と城に戻る。
 兄政実が降人となり、城を出た後も、実親は二の郭に踏みとどまり、蒲生四郎兵衛に戦いを挑む。

一戸実富      

 一戸彦次郎実富(50台前半)。
 宮野城で、九戸家の執事を務めている。長男であったが、家を出て九戸家に入った。
 一戸図書の兄。
 武人としてよりも、執事としての能力に秀でており、物資調達の任に当たった。

工藤右馬之助          

 工藤右馬之助兼継(42歳前後)。身長ほぼ6尺(約180cm)。九戸政実にも一目置かれるほどの無類の鉄砲の名手である。
 それもその筈で、実在の工藤右馬之助は、稲冨流砲術の三代師範として名を残す人物である。
 稲冨流はこの後、江戸期には幕府正式砲術として採用された。

 この物語の中での右馬之助は、兄弟と間違われるほど疾風そっくりの容貌である。 軽米の小領主であるが、所領の管理は弟の業綱に任せ、自らは九戸家に入っている。
 無骨者だが、さっぱりとした性格により、女性にもてる。
 毘沙門党の紅蜘蛛お蓮が、盗賊に囚われた子どもを助けようとしているのを、たまたま目にし、右馬之助は紅蜘蛛に助勢した。それが最初の出会いで、その後偶然が重なることにより、二人は恋に落ちる。
 紅蜘蛛が心を開く、唯一の男である。

 一戸城の攻防戦で、傷付いた右馬之助を救う為に、紅蜘蛛が独り城内に留まった。それ以後、右馬之助は、紅蜘蛛が死んだと思い込んだ。稀代の砲手である右馬之助は、北信愛の鉄砲隊によって、岩谷橋の上で銃撃されることになった。

盟友関係

七戸家国           ”北郡の雄”

 七戸彦三郎家国(41歳)。
 北郡一帯の領主であり、正室は九戸政実の妹。側室に八戸政栄の娘がいる。
 信心深く、義理固い性格。
 大浦為信の独立の前後に、津軽と争ったが、九戸政実と自身の配下の天魔源左衛門の尽力で和議を結ぶ。
 側室の父である八戸政栄とは最後まで争わなかった。


一戸図書

 一戸 図書助 光方。50歳くらいで、恰幅の良い体型。
 実富の弟であるが、兄が九戸に参じたため、一戸城を継いだ。
 九戸政実による「三城攻撃」の直前に、一戸城を無血開城し、自らが九戸党であることを宣言する。
 信義を重んじ、三戸に内通する家臣を助命したが、逆に裏切られ落命する。

櫛引清長              

 櫛引河内守清長(52歳)。
 櫛引城主。
 南部信直、八戸政栄と長年の間、抗争を繰り広げてきた。
 親族の多くを三戸方に殺され、深い恨みを抱いている。

櫛引清政       

 櫛引左馬助清政(さまのすけ・きよまさ、46歳)。
 法師岡館主で、櫛引清長の弟。篠は正室。

鹿角侍

大湯四郎左衛門       


 大湯四郎左衛門昌次(57歳)。
 鹿角鹿倉館の主。南部家のために長い間戦ってきたが、北信愛の悪辣な政治姿勢に疑問を抱いている。
 大館戦の後、大光寺光親との抗争により、亀裂が決定的になる。
 当初は三戸九戸の戦いを静観していたが、後に九戸方に参じる。
 親族は皆、三戸方に付いた。大浦為信と親交があり、毎年、鷹狩りに出掛けるほどだった。
 九戸戦前後に、妻子を津軽に送る。

大里修理

 大里修理亮親基(しゅりのすけ・ちかもと、40歳)。修理太夫とも。
 鹿角大里館主。かつては三戸南部の命により、鹿角戦で前線に立ったが、南部の横暴に耐え切れず、九戸方となる。

その他の人々

薩天和尚

九戸家の菩提寺・長興寺の住職。政実とは幼馴染である(54歳)。
九戸城を攻めあぐんだ浅野長吉、蒲生氏郷は、この薩天和尚を使者として城に送った。

浄法寺左京亮

古文書には、浄法寺修理の弟「某」としか出てこない。
まれに、浄法寺重行としているものもある。「左京亮」は本作における仮名である。
一戸城に、修理と東信義(朝政)が詰めていたとき、この修理の弟と親族の主膳が共謀し、「留ヶ崎城が危ない」と報告。驚いた修理と東信義は、慌てて三戸に向かったが、その報告は嘘で、すぐに一戸城は九戸党に占拠された。
この弟某は、九戸戦の際、大湯四郎左衛門の救援のため鹿倉館に向かった。しかし、館の近くでぬかるみにはまり動けなくなっていたところを、「浄法寺修理が攻めてきた」と解釈した大湯勢によって攻撃された。
死んだのが弟だったことがわからなかったので、地元では「ここで浄法寺修理が戦死した」とされている(この地に墓もある)。

創作上の人々

江刺家新吾 えさしか・しんご

九戸黒騎馬隊の若き隊長(31歳)。
子どもの頃に、政実にその才を発見され、以来、成人するまで傍に置かれた。
決断力、統率力に秀でており、25歳で黒騎馬隊の隊長となった。
宮野城攻防戦の直前に、政実の命により、出羽に姿を消す。

第2部「天魔外伝 主殺し」では、政実の最期を見届けるために、大崎三迫に赴く。
「山吹の花が咲く頃」の斯波戦にも登場する。



.