九戸戦始末記 北斗英雄伝

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九ノ戸神社(三迫)

九戸政実は、宮野落城の後、羽柴秀次のいる旧大崎領まで連れて来られました。
この地で、政実は九戸方の主だった武将らと共に斬首されました。
その後の伝説には複数あり、家臣の佐藤外記が政実の首を拾い、九戸まで持ち帰ったとも、三迫で密かに葬られたとも言われています。
前説は九戸の首塚、後説は三迫の九ノ戸神社がそれだとされています。
三迫の九ノ戸神社は現在の地名表記では、次のとおりです。
     宮城県栗原郡栗駒町稲屋敷九ノ戸

首級清めの池
首級清めの池

 高速を降り国道を南下して、栗駒街に入りました。九ノ戸付近に差し掛かり、最初に見えてくるのは、右手のコンビニでした。コンビニの先の一帯が九ノ戸ということになっていますが、ひと回りしても、史跡の類は見当たりません。もう一度、コンビニに戻り、「どの辺が九ノ戸ですか?」と尋ねると、「すぐそこ」との答です。
 再び車に乗り、道を進むと、右手に看板のようなものが見えました。車を停めるスペースがまったく有りませんので、再度コンビニに戻り、駐車場の隅に置かせてもらいました。
 コンビニからは徒歩で200㍍くらいではないかと思います。
 この看板には「首級の池」と書かれています。
 

首級の池の看板
首級の池の看板

首級の池の前の看板には、九戸政実がこの地に祀られることになった経緯が書かれています。

 宮野落城後、天正19年9月8日に二戸を出発し、17日に三迫上品寺に到着。政実らは20日に斬首されたとあります。伝説によると、櫛引清長は南部信直のことを最後まで罵っていたが、政実は従容として(いさぎよく、の意)刑に服したと伝えられています。

九ノ戸神社 外観
九ノ戸神社 外観

九ノ戸神社は、首級の池から二十メートル先にあります。
 民家の一角にひっそりと佇んでいる様子は、民を生かすために戦った武将の末路として、むしろふさわしいような気がします。

 神社でもあり、写真を撮影するのはどうかと、しばらくの間逡巡しましたが、延々と九戸の物語を書き続けている者ですので、ここは許されるだろうと思い、画像に収めました。

九ノ戸神社 祭壇
九ノ戸神社 祭壇

こちらが正面となります。
この九ノ戸神社にはなかなか訪れる機会がないと思いますので、九戸政実の事跡を偲ばれる方は、画像に向かい手を合わせると良いのではないでしょうか。
九戸政実らが斬首される時、岩出山城から伊達政宗が羽柴秀次の陣に参陣します。
秀吉に命じられるがままに、葛西・大崎の一揆を鎮圧するため、何万人もの人を殺した政宗と、九戸戦の後間もなく秀吉に殺されることになる秀次の二人は、連れ立って平泉中尊寺に赴きます。
二人は、中尊寺本山の片隅にある白山神社で、当地の神楽を見物しました。

秀吉と戦って死んだ九戸政実。
秀吉に盲従した伊達政宗。
伯父に殺された羽柴秀次。
思い通りの人生を送ったのは、果たして誰かと考えさせられてしまいます。

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