北奥三国物語 

公式ホームページ <『九戸戦始末記 北斗英雄伝』改め>

早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



北奥三国物語 鬼灯の城             ※盛岡タイムス紙にて連載中

新着記事一覧 

2021.05.31
「物語のあらすじ 杜鵑女編」を公開しました。
2021.05.30
この新着記事案内を開設しました。

釜沢淡州 : 小笠原重清とは

 戦国末期の北奥において、釜沢淡州・小笠原重清にまつわる伝説は、ひときわ異彩を放っています。
 北奥を二分する三戸・九戸の抗争に直面し、淡州はそのどちらにも加担した形跡がありません。
 三戸九戸のいずれにも賛同しなかったのです。
 ところが、二戸宮野城(九戸城)が落城すると、僅か数日のうちに、大光寺光親が二千騎の軍勢を以て釜沢館を急襲します。
 釜沢攻めには、専ら南部信直の命を受けた鹿角侍が出動し、糖部の侍はこれを静観しました。
 抵抗と抗戦の後、淡州は滅びますが、そこに至る経過が、今に至るまで謎となっています。

人物相関図
人物相関図

 かたや内政面での淡州は極めて優秀な人物で、父吉清(浄)の代から開墾と整地に力を注ぎ、釜沢用水の建設にも取り組みました。
 小笠原一族は生産力の向上を第一に考えていたということですが、当時としては稀有の考え方をする地侍であったと言えます。
 『北奥三国物語 鬼灯の城』は、戦国北奥において、小笠原重清がいかに振舞ったかを描く物語です。

 なお、本作はシェイクスピア『マクベス』に敬意を表して書かれており、設定に似た部分があります。
 書籍刊行の折には、『北奥三国物語 鬼灯の城 ━戦国のマクベス━』のような書名とするつもりです。

釜沢  右は寺館山
釜沢  右は寺館山

『北奥三国物語 鬼灯の城』 物語のあらすじ 杜鵑女編

『北奥三国物語 鬼灯の城』 
巫女・杜鵑女の視点によるあらすじ

 第13章「落城」の冒頭で、巫女・杜鵑女の出場場面は終了した。この要約は、この物語を杜鵑女の視点で眺めたものである。 

 終盤の人間関係は右図の通り。


『鬼灯の城』 終盤の人間関係図
『鬼灯の城』 終盤の人間関係図

◆杜鵑女の生い立ち            
 杜鵑女(とけんにょ)は元の名を夕月(ゆうづき)と言う。薬種商人の家に二女として生まれ、他に姉と弟の姉弟二人がいる。
 夕月が四歳の時に、父親が重い病を患い、商いが立ち行かなくなった。
 両親は口減らしのために、巫女の柊女の許に娘を置き去りにした。
 親たちは、己が生きるため、そしてなるべくなら娘を生かすために、道場の前に娘を放置したのだ。
 柊女は女児の声を聞き留め、その情念の強さを感じ取り、娘を見習い巫女にするべく拾った。
 杜鵑女の法名は、その時の泣き叫ぶ声が杜鵑(ほととぎす)に似ていたことから名付けられた。
 それから二十四年が経ち、女子でありながら、杜鵑女は心に野心を抱いていたが、師の柊女にそれを悟られ、破門にされた。
 杜鵑女が庵を去る時、参道の両側には、見習い巫女や支援者たちが立ち並んだ。そして、その人々は各々が手に持つ榊の枝で、散々に杜鵑女を打ちのめしたのだ。
 傷付いた杜鵑女は、その地を離れ、北奥を放浪した。その果てに釜沢の地に辿り着いたが、釜沢館の裏でついに気を失ってしまった。
 館主の小笠原重清は、杜鵑女の処遇を思案するが、この女の予言めいた言葉に耳を留め、ひとまず館内に留め置くことにした。

◆釜沢重清の前に桔梗が現れる       
 その杜鵑女の言に従って重清が三戸城下を訪れると、幼い頃に死んだと思っていた妹が生きており、商家の女将になっていた。
 総てが杜鵑女の言った通りだったので、杜鵑女は重清に召抱えられることになった。
 杜鵑女の言に従い、重清は隣領の目時筑前と不可侵の協定を結び、人質の交換をする。
 重清は人質として訪れた目時夫人・桔梗の姿を見て心を揺さぶられる。
 当初、重清は、桔梗を人質として扱っていたが、館内の侍や用人が毒茸に当たった時に桔梗が救ってくれたことで、家人同様の待遇を与えた。
十二月に至り、釜沢館を隣領の四戸が急襲した。
 重清は計略を以って敵の侍を討ち取る。
 四戸軍が殺到した時、北の方角から三戸軍が寄せて来た。
 前は九戸方、後ろは三戸方に囲まれ、重清は緊張するが、しかし、その三戸軍は蓑ヶ坂にいた東信義が三戸防備のために兵を出したものだった。それを知り、四戸軍は撤退した。
 その夜、重清が眠れずにいると、寝所に桔梗が手炙りを届けに来た。桔梗は重清の心を癒すべく、己の着物を開いた。

◆「必ずや桔梗が淡州を滅ぼす」
 馬渕川の戦いから半月後、杜鵑女は重清に帯同し、三戸の伊勢屋に向かう。
 この頃、杜鵑女は、祈祷師であるだけではなく、軍師に近い立場を得ていた。
 三戸伊勢屋の離屋(はなれ)で、杜鵑女は重清に夜伽を命じられると覚悟し、半ばはそれを望んだ。
 そのことで釜沢館での己の位置が確固たるものになるからである。
 また、杜鵑女は重清がいずれ北奥の盟主になるという予知を得ていた。
 しかし、その夜、重清は杜鵑女を求めては来なかった。
 翌日、二人が帰館すると、大手門で桔梗が待っていた。
 並び立つ二人を見た瞬間、杜鵑女の目には、地獄の業火が二人の周りを取り巻いているように映った。原因はまさしく桔梗である。
 桔梗が重清の天命を壊し、破滅させようとする存在であることは疑いない。
 杜鵑女は「あの女を放逐せねば」と決意する。
 かたや重清と桔梗は情交に明け暮れる。
 ついに桔梗は重清に「夫の目時筑前を殺してください」と乞う。
◆四戸、目時とのせめぎ合い
 天正十九年一月。重清は、九戸政実の催す年賀式に出席すべく、総勢五名で釜沢館を出発した。しかし、途中で四戸の刺客十二名が待ち伏せていた。
 従者二人が斃され、重清に危機が訪れる。
しかし、その場に居合わせた毘沙門党と四戸の刺客との間で戦闘が始まった。
 重清は「敵の敵は味方」と見なし、すぐさまその場を離れる。
 この事件の知らせが目時筑前に届く。
 筑前はこれこそ好機だと考え、釜沢との間で和議を為しめることにした。
 その和議の席で重清を殺し、釜沢を手中に収めよう。筑前はそんな風に考えたのだ。
そのことを知り、桔梗は自らの手で夫・筑前を暗殺することに決め、杜鵑女の許を訪れる。
 桔梗が鼠を駆除するための毒の調合を依頼すると、杜鵑女は桔梗の真意を察知する。
杜鵑女の霊視によれば、桔梗は重清の行く末を破壊し、釜沢を滅ぼす悪女である。
この女を除かねば、杜鵑女自身の身も危うくなってしまう。
 そこで、杜鵑女は桔梗の謀に乗じ、毒を用いて桔梗を殺すことを決意する。

◆杜鵑女、桔梗の毒殺を試みる
 釜沢、目時の和議の日、杜鵑女と桔梗は、各々の狙う相手を毒殺する企てを立てていた。
 和議の儀が終り、祝宴が始まる。
 杜鵑女が毒を仕込んだ手拭いを二人の膳に配置させると、侍が駈け込んで来た。
 「神社口で合戦が始まっている」という報告に、この場の全員が緊張する。
 ところが、月山神社の前で戦っていたのは、四戸軍と目時軍だった。
 目時が釜沢館を攻めようとした、その同じ時に四戸が兵を寄せたため、両者の間で戦闘が起きたのだ。
 重清は目時筑前を詰問するが、筑前が抵抗したため、これを殺した。
 重清の正室である雪路は筑前の血を浴びたので、傍にあった手拭いを手にするが、これは杜鵑女が桔梗を狙って毒を仕込んだものだった。このため、雪路は即座にその場で絶命した。

◆重清、目時と四戸の多くを手に入れる
 重清は、四戸方の小保内兵衛、目時方の佐藤弥五郎を支配下に置き、目時領の総てと四戸領の四分を手中に収める。
 一月八日になり、重清は筑前の子・目時孫左衛門を帯同して三戸に赴いた。
 重清は南部信直、北信愛に当時の状況を話し、孫左衛門、帷子豊前に証言をさせた。
 これにより、発端に目時筑前の謀略があったことが判明し、この騒動は不問とされることになった。
 重清は三戸から釜沢に帰館すると、直ちに小保内三太郎を宮野城に向かわせた。
 南部信直が宮野城を攻める準備をしていることを九戸政実に報せるためである。
 書状を眼にすると、政実は自らが問い質すべく三太郎の前に現れた。
 わずか一行の文面とひと言二言の会話で、政実は事態を把握し、三戸迎撃の仕度をするよう一戸実富に命じた。

 天正十九年一月十八日。重清の許に、「宮野城が攻められている」という報せが入る。
 三戸方は南弾正、北秀愛らを中心として、二千騎に徒歩五百の軍勢を仕立てて九戸政実を攻めたのだ。
 しかし、寒中の城攻めで、籠城方の方が有利である。わずか半日で三戸軍は崩れ、散り散りになって敗走した。

◆杜鵑女、改めて桔梗の殺害を決意する
 閏一月。重清の許に小野寺源治が来た。
小野寺源治は正室・雪路が毒殺された件について報告に来たのだ。
 源治は重清に「桔梗さまと杜鵑女殿の周囲には目を離さぬように」と注進した。

 杜鵑女は主館の外で、桶を手に働く娘の姿を目にした。従者の巳之助によると、名をおようというその娘は「お屋形さまの温情でこの館に入った『手つき女中』」だと言う。
 その女中は、重清に歯向かって殺された楢木伊右衛門の娘で、本来、奴婢に落とされるところを救われたのだ。
 その娘の姿に、杜鵑女は自らの境遇を重ね合わせる。
 杜鵑女はここで改めて「桔梗を殺し、重清を奥州の盟主に押し上げる」ことを誓った。

◆目時孫左衛門の画策
 天正十九年三月の初めに、目時孫左衛門(孫左)は南部信直に呼び出された。 
目時父子は独断で釜沢を攻めた結果、自領を失った。信直が与えたのは、孫左を家臣団から外すという命であった。
 孫左は城を退出すると、足沢の浅野庄左衛門の館を訪れた。
 この浅野庄左衛門は浅野長吉の命で、鳥谷ヶ崎城の城代を務めていたが、数ヶ月前に一揆勢によって城を追われ、今は南部信直の食客となっていたのだ。
庄左衛門は孫左と手を組み、北奥の情勢を調べることにした。

 三月上旬には九戸党の攻撃が始まった。まずは櫛引が浅水城を攻め、南兄弟を討ち取った。次に九戸本隊による「三城攻撃」が起きた。
 これは一月の宮野攻めに対する報復であったが、すかさず三戸軍も一戸城を攻め、この城を落とした。
 これにより、戦況は一進一退の様相を呈してゆく。

◆浅野庄左衛門、釜沢を内偵する
 北奥で九戸三戸の衝突が重なる中、浅野庄左衛門は釜沢を偵察することにした。
 釜沢では用水路が整備され、さらに大掛かりな田畑の開墾が進められていた。
 これが数十年間に及ぶ、二代掛かりの計画によるものだと知り、庄左衛門は驚く。
 庄左衛門が薬種商人の家を訪れ、蕎麦を馳走になっていると、釜沢館主の重清が現われた。
 重清は「食を増やし、民の腹を満たせば、自から戦いが止む」という考えの持ち主で、現下の武士による統治をあっさりと否定した。
 釜沢では、侍も百姓も分け隔てなく食べ物を分かち合い、笑って日々を送っている。
 庄左衛門は、「いずれ重清の思想が武士の布(し)く秩序を脅かすようになる」と考え、重清を倒すことを決意した。

◆杜鵑女、桔梗の謀殺準備を始める
 この頃、釜沢館では、杜鵑女が思案していた。
 「早く桔梗を除かねば、お屋形さまの進むべき道が壊されてしまう」
 しかし、もはや毒は使えない。また、直接、祈祷によって呪い殺すと、様々な弊害が降り掛かる。
 杜鵑女が逡巡する中、女中のおようとみちが、いずれも亡霊に憑依されやすい体質であることに気付く。
 そこで、杜鵑女は重清の先妻である雪路をあの世から呼び出し、恨みの念を桔梗に向けさせることを思い付いた。
 杜鵑女はすぐさま二人を連れ、北奥の霊場のひとつである姫神山に向かった。

◆浅野庄左衛門、「淡州死すべし」を説く 
 九戸党による「三城攻撃」を発端とする攻防戦が一段落すると、合戦は小休止に入った。
 そこで、南部信直は、北信愛、浅野庄左衛門に諮り、関白秀吉の許に使者を送ることを決めた。この上洛部隊は、名代を子の利直とし、随行に北信愛を置く。さらに浅野家家臣の庄左衛門が交渉を補佐するものとした。
 京へ派遣する目的は、上方軍の遠征を請うものだ。
しかし、関白秀吉は意に添わぬ者を容赦なく殺す「痴れ者」であるため、この陳情自体により信直が無能と見なされるかも知れぬ。
 このため、信直は大いに緊張した。
 浅野庄左衛門は二人に向かって、「九戸も天下の逆賊だが、釜沢淡州こそ武士の世を脅かす者」であると説く。
◆重清、櫛引包囲戦に派兵す
 その頃、釜沢館を伝令が相次いで訪れた。
 八戸薩摩(政栄)が櫛引兄弟を攻撃するにあたり、重清は八戸と櫛引の双方から援軍を求められたのだ。
 重清はそれまで双方と良好な関係にあり、要請を無視するわけにはいかない。
 遂に重清は何れかの陣に参陣することを決意した。これは同時に、八戸・櫛引だけでなく、三戸九戸の何れかに加担することを宣言することになる。
 出陣に当たり、重清は杜鵑女に神の宣託を求めた。
 すると杜鵑女は「八戸薩摩の側に立て」と答えた。
 重清がこれに同意し、北館を出ようとすると、桔梗が現れる。
 桔梗は平伏し、「櫛引左馬之助(清政)さまをお助け下さい」と乞う。
 その話を杜鵑女が耳に留める。
 杜鵑女は重清がこの女子の言葉に惑わされ、いよいよ己のあるべき運命を損なうのではないかと危惧する。

 重清が法師岡館に着くと、八戸軍が包囲戦を始めるところだった。
 八戸直栄は策謀を巡らし、館を攻略した。
 この館を守っていたのは、清政の妻である篠だったが、少数の手勢ながら八戸と正面から戦い戦死した。
 重清はその一部始終を見届ける。

◆重清、紅蜘蛛お連を助ける
 重清が家来数名を連れて釜沢に帰ろうとすると、西之沢の近くで毘沙門党の紅蜘蛛に会う。 紅蜘蛛は福田治部の家来と争い、手傷を負っていた。
 程なく追手がその場に到着するが、行掛かり上、重清はやむなくその追手を殺した。
 しかし、追手の一人が重清の刃を逃れ、福田館に逃げ帰った。

 杜鵑女は重清が自分との約束を守らず、櫛引を討たなかったことを知り失望する。
そこで、重清を惑わす桔梗を「悪の根源」と見なし、この女を呪い殺すことにした。
 杜鵑女は重清の先妻である雪路の霊をおよう、みちの何れかに降ろし、雪路に桔梗を殺させようと考える。
 おようとみちは女中であると同時に、杜鵑女に従う巫女でもあった。
 厳しい祈祷の果てに、雪路の霊はおように降りた。
 雪路の怨霊は、己の死後、桔梗が重清と睦み合っているのを知り、この女への憎悪の念を滾(たぎ)らせる。

◆釜沢淡州に向けられる疑惑
 一方、福田館では、賊に倒された家来の一人が「カマザワが手を下した」と言い残したため、重清の関与を疑う。
 釜沢館の内と外の両方から、重清にとって最大の危機が迫って来ていた。

 福田紫十郎は館主の福田治部と息子の掃部(かもん)に呼ばれ、奥の院に入った。
当主の治部は紫十郎に対し、福田左内を釜沢に送り、内偵をさせることを命じた。
 この調べの目的は、毘沙門党の女盗賊と結託し、福田兵を殺めたのが、釜沢の手の者なのかを確かめるところにあった。

◆雪路の怨霊が降臨す 
 この頃、祈祷所では、杜鵑女がおように対し降霊術を施していた。既に雪路はおようの体に降り、おようを支配している。
 杜鵑女はその雪路に対し、雪路が既に死んでいること、死んだのは毒殺によるもので、桔梗が重清の妻の座を狙って犯行に及んだことなどを吹き込んだ。
 雪路はそれを信じ、桔梗への敵愾心を燃やすようになった。
 巳之助は杜鵑女に命じられるままに、夜毎、おようと交わっていたが、杜鵑女の狙いが、おようの体に雪路を釘付けにすることだと悟り落胆する。

◆福田の密偵が入り込む
 それから数日後のこと。
 小保内三太郎の許に、小保内兵衛がやって来た。三太郎は荒れ地の開拓に従事していたのだが、わざわざそこに兵衛が出向いて来たのだ。
 兵衛は林彦三郎という客人を連れている。
 林は「釜沢の治水工事を学びに来た」と称したが、実は林彦三郎とは仮の名で、この男の本名は福田紫十郎だった。
 紫十郎は福田掃部の命を受け、釜沢の内情を知るために送られた者だったのだ。
 開墾地の作業小屋で、三人は酒を酌み交わすが、三太郎が口を滑らせ、福田の侍を倒したことを紫十郎に話してしまった。
◆怨霊の跋扈
 一方、釜沢館では、夜な夜な雪路(およう)が徘徊するようになっていた。
 小野寺源治は、夜の廊下を歩くおようがこの世の者とは思われぬ表情をしているのを目にする。

◆杜鵑女、生き別れの姉と再開す
 釜沢に夏が訪れ、杜鵑女が北館の脇に作った薬草畑に酸漿(ぬかずき)の白い花が咲いた。
 杜鵑女がその花を眺めていると、館主の重清がやって来た。
 重清は桔梗のために、西麓下の薬種商人の許を訪れ、薬を手に入れて欲しいと頼む。
 翌日、杜鵑女が薬師の許を訪れると、女主人の様子が生き別れになった姉に似ている。
 過去の話を確かめると、疑いなくその女主人は、杜鵑女の姉の藤乃だった。
 姉妹は手を取り合って再会を喜ぶ。

◆小野寺源治が杜鵑女の企みに気付く
 その次の日。小野寺源治が祈祷所を訪れる。
 巳之助が不要に漏らした「酸漿」という言葉で、源治は杜鵑女の企みに気付いた。
 源治は確証を得るべく、さらに杜鵑女の周辺を調べることにした。

 日一日と桔梗の体が弱って行く。
 杜鵑女の進言に従い、桔梗の処方が変えられようとしているのを知り、源治は重清に「祈祷師を信じるな」と警告する。
 その直後、源治が本館を出ると、侍女のおようが近付いて来た。
 源治はおようを伴って裏門の外に出て、話を聞くことにした。
 そこでおようは本性を現す。
 おようの体は雪路の怨霊に乗っ取られていたのだ。
 復讐心に燃える雪路は、源治が桔梗と結託して己を亡き者にしたと思い込み、源治の首に縄を掛け、裏門の上に吊り下げた。

 重清は源治の屍を調べるが、死に方がどうにも解せない。そこで杜鵑女を呼び、検分させた。
 杜鵑女は源治の死因が「悪霊の祟り」であると告げる。
 そして、その悪霊は雪路が変じたものだと断言した。
 本館では、各所に雪路の怨霊が現れる。
 ついには桔梗の前で姿を現し、「必ずお前を取り殺す」と告げた。

◆福田・切田連合軍が釜沢に迫る
 釜沢館に福田の軍勢が迫る。
 福田治部、掃部親子は釜沢攻めを決断し、周辺の地侍を誘い、一大軍勢を仕立てていた。北彦助、種市中務ら、主だった者は三戸の南部家に与する者たちだった。
 釜沢がすぐさま対応できるのは、せいぜい数百である。
 重清は三太郎に命じ、百騎を偵察に向かわせる。

◆冬に実る鬼灯は無し
 重清が合戦の仕度に向かおうとすると、杜鵑女が酸漿畑を示し、「雪の降る頃に酸漿の赤い実が顔を出さぬ限り、お屋形さまが破れることは無い」と激励した。
 重清は杜鵑女の言を受け入れ、合戦の後、杜鵑女を呪い師としてではなく、女子として扱うことにした。
 杜鵑女は重清から館主に次ぐ決定権を与えられる。
 ついに杜鵑女は桔梗の上に立ち、重清を我が物にしようとしていた。
 己の目的に向かって一歩前進したことを知り、杜鵑女は巳之助に命じ、桔梗の許に酸漿根を運ばせることにした。
◆重清、三太郎率いる先遣隊を敵前に送る
 福田・切田連合軍が釜沢まで十里圏内に迫った。重清は四方に物見を送り、前衛となる目時館に小笠原十蔵と兵五百を派遣することにした。
 また、小保内兵衛、小保内三太郎を長とする先遣隊を敵兵団の視察に当たらせた。
 先遣隊は総勢三十名ほどである。
 小保内先遣隊は、釜沢の東方八里付近で敵兵団を察知した。
 山陰より敵兵団を偵察すると、その中に林彦三郎が居た。林は以前、治水に関し教えを乞いに来た侍である。
 ここで三太郎と兵衛は、自分たちが林に謀られていたことを知った。
 林による親切心を仇で返す裏切りに、二人は怒りを燃え上がらせる。自分たちが内情を明かしたことが、釜沢攻めを助けることになったのなら猶更だ。
 小保内三太郎は小数名の部下と共に敵陣内に潜入し、敵の構成を探ることにした。

 敵の兵団は、福田治部、掃部と鹿角の切田小太郎が主力となって居り、後方には北彦助が続く。
 糠部と鹿角の相互に相手をよく知らぬ兵が共に行動しているため、お互いに顔では判別がつかない。そこで、三太郎は「遅れて来た援軍」を装い、後方から堂々と部隊に侵入した。
 攻め手の中心に近づくと、果たしてそこに林彦三郎がいた。林の本当の名は福田紫十郎で、福田家の親族である。
 福田治部、掃部の他に居たのは、鹿角の切田小太郎に加え、目時孫左衛門らであった。
 すなわち、今回の釜沢攻めは、かなり前から目時孫左衛門らが画策したものだ。
 釜沢淡州が急成長と拡大を続ける中、孫左衛門は旧目時領を奪還すること、福田は釜沢、切田は四戸領を奪うことを目的に数か月前から用意されたものだった。

◆小保内三太郎、敵兵団に潜入
 三太郎は私憤から林(福田紫十郎)を狙っていたのだが、しかし、ここで事態の重さに気が付いた。福田・切田は、かつての四戸がしたように「思い付き」で攻め寄せたわけでは無かったのだ。そこで、家来の米田源信を釜沢に戻し、重清に報告させた。
 三太郎が数名の部下と共に、福田陣営の中核に近づくと、福田紫十郎が三太郎に気付いた。
 即座に双方が刀を抜く。
 三太郎が走り出すが、相手は紫十郎ではなく、その後方に居た福田治部だった。
 福田治部が寄せ手の惣大将にあたるから、三太郎は治部を狙ったのだ。
 首尾良く治部を討ち果たすや否や、三太郎が叫ぶ。
 「それがしは切田小太郎家来、十和田八郎だあ。今此処に福田治部殿を討ち取ったぞ」
 これで軍団内に動揺が走った。
 三太郎と紫十郎が対峙する中、小保内兵衛が二十騎を以て突入して来る。
 兵衛は三太郎と別れ、帰館する筈だったが、三太郎の心中を悟り、敵を攪乱するために戻って来たのだった。
 乱戦の中、兵衛らは奮闘するが、弓手に囲まれ、次々に倒れる。
 切田小太郎が己の家来に三太郎の射殺を命じ、一斉に矢が放たれた。その一本が紫十郎に命中し、その機を逃さず、三太郎は紫十郎を切り捨てた。
 切田勢は三太郎を殺そうとしたが、切田小太郎が自ら三太郎の太腿を射て、三太郎は捕縛された。
 釜沢淡州に反逆の意思があることを示す証人は、もはや三太郎一人だけである。
切田にしてみれば、三太郎を殺すわけには行かなかったのだ。

◆福田・切田軍が釜沢館を包囲 
 程なく福田・切田連合が馬渕川を渡河し、釜沢領に入った。
 釜沢館では、敵の襲来を想定し、予め軍を二つに分け、小笠原十蔵を目時館の守備に向かわせていた。
 一方、淡州はこの攻撃が福田・切田の独断によるものだと読み、早い段階で三戸の南部信直と名久井の東信義に伝令を送っていた。これで三戸を動かすことが出来れば、恐らく三日の内に下知が下される。
 かたや、福田・切田は北彦助を巻き込んでいたが、彦助が父親である北信愛に伝令を送ったのは、軍を仕立てる直前だった。
 三戸への連絡を遅らせたのは、釜沢の反逆に対する検証を遅らせる意図による。
 沙汰に入る前に釜沢館を制圧してしまえば、後はどうにでもなると踏んだのだ。
 これも事態が動くまで三日を要するから、双方にとって勝負は二日間の攻防に懸かっている。
 城攻めの直前になり、釜沢の周辺が静寂に包まれた。
決戦は恐らく夜明けに始まる。

 釜沢館内では、重清(淡州)が桔梗を見舞った。桔梗は杜鵑女の策謀に掛かり、酸漿根を飲まされていたのだ。
 桔梗は流産し床に臥せっていたが、さらに、雪路の怨霊が現れ、桔梗に復讐を誓った。
 桔梗は自身の死期を悟り、重清に「杜鵑女の不実を暴くために、小野寺源治の文箱(ふばこ)を調べて欲しい」と伝える。

◆重清、三太郎を己の手で射殺
 釜沢館の大手門から一丁のところに磔木が立てられ、一人の男が磔にされた。晒された男は小保内三太郎であった。
 福田は「証人となるこの男が居るから、叛意は明らかだ。申し開きをするなら、それを聞かんでもないから、直ちに開門せよ」
と迫る。 
 その時、三太郎の間近に福田の家来に扮した天魔源左衛門が現れた。
 天魔源左衛門は、九戸政実の依頼を重清に伝えに来たのだが、その帰り際に福田軍に潜入していたのだ。
 源左衛門は三太郎に、「釜沢が南部方に盾突く証にぬしがなっている」と囁く。
 福田掃部が釜沢館の前に使者を送って来たが、この使者は「もし三太郎が釜沢の家来だと認め、開門したなら、これまでの罪を許す」と伝えた。
 その申し出は虚偽で、もし重清が開門したなら、福田・切田は即座に重清を捕縛し、斬首に処するのは疑いない。
 重清はそのことを承知していたので、その使者を追い返した。
 だが、いよいよ重清は三太郎をそのままにして置く訳には行かなくなった。
 
 三太郎は覚悟を決め、「自身は切田の家来」だと叫び、さらに重清を貶める言葉を吐く。
 三太郎が「自らを殺してくれ」と伝えようとしているのは明らかである。
 三太郎の間近には福田家若侍の佐内が居たのだが、佐内はこれが初陣だった。
 佐内は三太郎の口を封じるために、三太郎に切り付ける。
 福田掃部は「証人を殺させてはならぬ」と佐内を止めさせる。
 三太郎は重傷を負い、後は苦しんで死ぬだけの身となった。
 そこで重清は自ら火縄銃を持ち、三太郎を銃撃した。
◆杜鵑女、雪路の怨霊と対峙す
 北館の祈祷所では、雪路の怨霊を封じ込めるための祈祷が始まっていた。
 既に桔梗は死に、雪路の怨霊に用が無くなったのだ。
「おように雪路さまを降ろし、そこで・・・」
 幽霊が生きた者に憑依すると、その間は魂が同化する。その状態で再び死ぬと、双方が一体となって冥界に入る。
 杜鵑女は、雪路を降ろした状態でおようを亡き者にして、おようと雪路の両方をあの世に送る腹積もりだったのだ。
 祈祷を続けていると、巳之助が「お屋形さまが三太郎を撃ち殺した」ことを報せに来た。
杜鵑女の考えでは、この時こそが、重清が三戸と袂を分かち、九戸政実と連帯すべき時だった。重清が北奥の支配を目指すことを宣言する好機だった。
 自らが重清の傍に立ち、強く助言しなかったことを杜鵑女は深く後悔した。

◆東信義、釜沢に駆け付ける
 福田・切田連合の総攻撃が始まろうとする、その直前となり、蓑ヶ坂方面から三百騎の兵団が駆け込んで来た。
 旗印は割菱と九曜、すなわち東中務信義の兵たちである。
 東信義は蓑ヶ坂の守備に就いていたが、重清が三戸に送った伝令がその地に到ったので、福田・切田連合が釜沢攻めを引き起こしたことを知った。
 信義は三戸にその伝令を送り届ける一方、和賀に向かう筈だった東一族の兵団を急遽、釜沢に向かわせたのだった。
 信義は重清に命を救って貰った恩義がある。信義は事の次第を確かめるべく、南部信直に軍監任命状を貰ってあった。
 信義は福田・切田に「攻撃を待て」と命じ、自ら釜沢館を訪れた。
 重清は三戸の使者が東信義であることを知ると、門を開き信義を中に入れた。

◆杜鵑女、「使者の殺害」を宣託
 祈祷所では、杜鵑女がおように乗り移った雪路と戦っていた。
 おようは時々、雪路と入れ替わり、恋人の巳之助に「助けて下さい」と懇願する。
 重清の家来二人が祈祷所を訪れ、杜鵑女の助言を乞うが、雪路の怨霊はそのうちの一人を殺した。
 杜鵑女は残った家来に、重清の許に戻り、「使者を殺し、三戸打倒を宣言すべし」という伝言を渡す。

◆重清と信義が相互の信頼を確認する
 東信義は館の中に入ると、重清に対し単刀直入に訊ねた。
 「盗賊に加担して福田を攻撃したのは真(まこと)ですか」
 これに重清は実際に起きた出来事を有り体に答えた。
 毘沙門党の紅蜘蛛を見逃そうとしたのは事実だが、盗賊の一味ではない。
 また侍が襲って来る構えを見せたので、仕方なく応戦したが、それが福田の家来とは知らなかった。
 東信義はその言葉に偽りが無いとみて、「福田・切田軍を撤収させること」を約束した。
 信義は軍監の地位を得て居り、信義の裁定は南部方の総意となる。福田掃部、切田小太郎の双方に一定の「見返り」を与える約束をすれば、両名の目的は達成したのと同じことになるのだ。
 この時、祈祷所に向かっていた家来が戻り、杜鵑女の言葉を伝えた。
 重清と信義の間には、固い信頼関係があった。さらには、今回も信義が調停の役を務めてくれると言う。
 背中を向ける信義を見ながら、一度は重清は懐刀に手を掛けた。しかし、北奥の将来を心底より案じる信義の姿を目の当たりにし、重清は信義の殺害に手を染めることを止めた。

◆杜鵑女、おようごと雪路を封殺
 祈祷所では、いよいよおようの力が無くなり、巳之助が破魔の陣を解き、中に入れようとする。
 杜鵑女がこれを許し、封印を断ち切ると同時に、おようの中にいた雪路が表に現れた。
 杜鵑女は渾身の力で刀を振るい、おようの首を撥ねる。
 巳之助は杜鵑女が「初めからおようを殺す気だった」と悟り、杜鵑女を詰る。
 杜鵑女は大声で自身を追及しようとする巳之助の首元を刀で突き刺した。

◆巫女の企みが露見し、重清が杜鵑女の放逐を決める。
 福田・切田連合軍が去ったあと、ふた刻が過ぎた頃、祈祷所を重清が訪れた。
 その前に重清は寝所を訪れたのだが、桔梗は既に死んでおり、手紙を残していた。
 その手紙には「杜鵑女を信じてはならない。すべては小野寺源治が知っている」と書かれていた。
 雪路と桔梗を謀殺した件について、重清が杜鵑女を詰問していると、十蔵が源治の書付けを持って現れた。
 重清はそれを読み、館内で凶事を引き起こした張本人が杜鵑女であると断じる。
 杜鵑女が「確たる証拠は無い」と申し立てるので、重清はこの巫女を死罪にはせず、鞭打ちの刑に処し放逐することにした。
 巫女・祈祷師の身でありながら、国主の座を望んだ杜鵑女の企みは、ここで瓦解したのであった。

◆杜鵑女、釜沢館から放逐される
 杜鵑女は釜沢館を我が物に収めることを切望していたが、重清も釜沢館も杜鵑女の手から漏れ落ちた。
 重清は自身への思慕を語ろうとする杜鵑女の言葉を遮り、冷たく言い放った。
 「杜鵑。ぬしは去年(こぞとし)、襤褸着一枚でこの門の脇に倒れて居った。そして今日、ぬしはその時と同じ着物一枚の姿でこの館を後にする。総てはぬしが自ら選んだことなのだ」
 そして、重清はこの美貌の巫女が二度と世人を惑わすことの無いように、柳の枝で額を打ち、深く大きな傷を付けた。
 杜鵑女の野心は此処に潰えた。この後、杜鵑女は糠部を離れ、北奥を彷徨う。

 これでこの『鬼灯の城』という物語の中での杜鵑女の役割は終了する。
 程なく九戸一揆が終わるが、その直後に、釜沢重清は南部信直配下の大光寺左衛門によって急襲され、釜沢が滅ぶことになる。
 杜鵑女が流れ着いた先は志和郡鳥谷ヶ崎。
 そしてその地で杜鵑女の紡ぐ新しい物語が始まることになる。
 (杜鵑女にまつわる物語は『鳥谷ヶ崎情夜』に続く。)


◆注記
・杜鵑女の幼名:杜鵑女は巫女になる前、「夕月」という名で、釜沢重清の側室と同じ名である。

『北奥三国物語 鬼灯の城』 前半のあらすじ

 時は天正末期。釜沢の小笠原重清は、九戸一揆に際し、九戸三戸のいずれの側にも参陣しなかった。戦争終結後、三戸南部に接収されようとすると、重清は突如として叛意を表し、交戦するに至った。 このとき、重清は何を考え、決断したか。本作はこの経緯を描くものである。

「呪い師」
 二戸釜沢館主・小笠原重清(釜沢淡州)の館に杜鵑女(とけんにょ)が現れた。
 杜鵑女は師に破門された破戒巫女で、放浪の挙句、釜沢館の搦手門の前で倒れていたのだ。
 重清はその杜鵑女の扱いを思案するが、杜鵑女の予言めいた言葉に耳を留め、ひとまず呪(まじな)い師として館内に置くことにした。

「邂逅」 (「邂逅」は「出会い」の意。)
 杜鵑女の言に従って、重清は三戸城下を訪れた。
 すると、幼い頃に死んだと思っていた妹が生きており、商家の女将になっていた。
 総てが杜鵑女が霊視した通りだった。
 重清は杜鵑女の言に従い、隣領の目時筑前と不可侵の協定を結び、人質の交換をする。
 重清には男児が無かったので、人質は双方とも館主夫人とした。
 重清は目時夫人・桔梗の姿を見て心を揺さぶられる。

「揺蕩」 (「揺蕩」は揺れ動くこと。)
 秋が深まった頃、釜沢館の家来・用人が毒茸にあたる。重清も茸毒に苦しむが、人質の桔梗により介抱される。
 桔梗はほとんど意識の無い重清の体を清拭し、その逞しい体に愕然とした。
 病気がちな夫と違い、重清は鋼のような体躯をしていたのだ。
 桔梗は夜毎に重清の肉体を思い起こし、悶々とする。

「渦流」
 十二月に至り、釜沢館を沼宮内(河村)治部が訪れる。治部は開墾や用水路普請について、重清の指南を受けに来たのだ。
 しかし、折悪しく、ちょうどその時、領境でいざこざが起きる。
 四戸領の百姓が釜沢に進入し、略奪を働いた。ところが、その百姓たちの後ろには、四戸の他、九戸方の軍勢が控えていた。
 その時、小笠原重清の配下はわずか十数騎。
見張りに出ている隊を呼び戻しても、せいぜい六七十である。
 だが、このまま捨て置くわけにはいかない。
 重清は出陣し、馬渕川を挟んで敵と対峙した。
 果たして百姓の間には四戸侍が混じっている。ここでもし、重清が川を渡って攻撃すれば、「釜沢が四戸領に攻め入った」という口実を与えることになり、背後にいる軍勢が攻めて来る。
 重清は一計を講じ、敵の侍を討ち取る。
 それを見た四戸軍が殺到した時、北の方角から三戸軍が寄せて来た。
 前は九戸方、後ろは三戸方に囲まれ、重清は緊張する。
 しかし、北から寄せる三戸軍は、蓑ヶ坂にいた東信義が三戸の防備のために兵を出したものだった。
 重清は東信義とは親交があり、信義が重清を攻めることはない。それを見取り、重清は安堵する。
 一方、四戸軍は敵が多数であることを知ると、すぐに撤退した。
 その夜、重清が眠れずにいると、寝所に桔梗が手炙りを届けに来た。
 桔梗は重清の心を癒すべく、己の着物の前を開く。重清は、ついに桔梗と関係を持ってしまう。

「業火」
馬渕川原の戦いから半月後、釜沢館を九戸政実が訪れる。政実は四戸一族に讒言を受けており、重清の真意を確かめるべく、工藤右馬之助を伴って訪館したのだ。
重清が戦いについて語ると、政実は納得し、「年賀式に出るがよい」と重清を誘った。
その日、重清は杜鵑女を引き連れ、三戸の伊勢屋に向かう。表向きは年越しの支度のためだが、その実は杜鵑女を休ませるための計らいだった。
伊勢屋に着き、部屋の支度が出来るまで二人は向かいの茶屋で待つことになる。
するとそこには、伊勢屋の様子を窺う男女がいた。男女の物腰を見れば明らかに盗賊の類である。
重清はその者たちを呼び止め、警告した。
伊勢屋の離屋(はなれ)で、杜鵑女は重清に夜伽を命じられると覚悟したが、しかし、重清は求めては来なかった。
翌日、二人が帰館すると、大手門で目時の人質である桔梗が待っていた。
並び立つ二人を見た瞬間、杜鵑女の目には、地獄の業火が二人の周りを取り巻いているように映った。
杜鵑女は「あの女を放逐せねば」と決意する。
一方、重清と桔梗は情交に明け暮れる。
ついに桔梗は重清に「夫・目時筑前を殺してください」と乞う。

「陰謀」
 重清は、九戸政実の催す年賀式に出席すべく、総勢五名で釜沢館を出発した。
 前日からの降雪で、重清一行は馬橇を使用したが、それでも平常の三倍の時を要した。
 漸く四戸領との境に達すると、そこには四戸の刺客十二名が待ち伏せていた。
 年賀式の日に暗殺を企てるのは、如何にも都合が悪いので、刺客らは自らを「毘沙門党」と称した。すなわちそれは強盗の仕業に見せかける意図による。
 従者二人が斃され、重清に危機が訪れる。
 すると、町屋の陰から男装束の女が現れた。
その顔を見れば、その女は重清が昨月三戸で会った紅蜘蛛という盗賊であった。
 紅蜘蛛は偶々、すぐ近くの旅籠に泊まっていたが、侍に自分たちの名が勝手に使われたことを知り、外に出て来た。
 すぐさま毘沙門党と四戸の刺客との間で戦闘が始まった。
 重清は「敵の敵は味方」と見なし、すぐさまその場を離れた。

 この事件の知らせが目時筑前に届く。
 筑前はこれこそ好機だと考え、釜沢との間で和議を講じることにした。
 重清は九戸党と軋轢を生じさせており、孤立している。そこで、「三戸との仲を取り持つ」と持ち掛ければ、必ず申し出に応じる。
 その和議の席で重清を殺し、釜沢を手中に収めよう。筑前はそんな風に考えたのだ。

 和議の申し出が届き、重清はそのことを桔梗に話す。桔梗は、重清が「案じるな」と言うばかりなので、不安感を募らせる。
 和議が決まれば、自分は目時館に戻されてしまうのだ。
 ついには、桔梗は自らの手で筑前を暗殺することに決め、杜鵑女の許を訪れる。
 桔梗が鼠を駆除するための毒の調合を依頼すると、杜鵑女は当日中に作ることを約束した。
 杜鵑女は、桔梗がその毒を夫殺しに使うであろうことを察知する。
杜鵑女の霊視によれば、桔梗は重清の行く末を破壊し、釜沢を滅ぼす悪女である。
この女を除かねば、杜鵑女の身も危うくなってしまう。
 そこで、杜鵑女は桔梗の謀に乗じ、毒を用いて桔梗自身を殺すことを決意する。  (後半に続く)

ギャラリー

寺舘山
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坂下を奥州道(陸奥道)
坂下を奥州道(陸奥道)

城の下(釜沢用水)
城の下(釜沢用水)

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