九戸戦始末記 北斗英雄伝

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早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



其の十九 北斗妙見の章(後編)

 其の十九 北斗妙見の章(後編)のあらすじ

 天正十九年九月三日夕刻。
 宮野城の大手門が開き、九戸政実が現れた。
政実は、浅野長吉、蒲生氏郷の二人に向かい、はっきりした口調で己の考えを述べた。
 「この戦を終えるに当たり、それがしが求める事の一は、この先、南部大膳の領地が損なわれる事の無きよう、貴殿らに計らって貰う事だ」
 この言葉を聞き、政実の前に座る二人は、揃って瞠目した。
 「何と」「ううむ」
 南部大膳(信直)は、政実にとって不倶戴天の敵である。この申し出は、自らの敵である南部信直の保身を求めるものであった。 
 二人はゆっくりと床机に腰を下ろした。
 少しの後、長吉が気を取り直し、政実に問い返す。
 「その他に何か我らに求める事は無いのか」
 「この後は無用に人死にが出ぬように心掛けて貰えれば、その他にそれがしが求むる事はござらぬ」
 「そうか・・・」 
 政実の言葉は、長吉が想定していたものとは、まるで違っていた。
 「明日の午の下刻。それがしは城を出て参る」
 政実がさっと立ち上がるのを見て、長吉、氏郷の二人も慌てて腰を上げた。
 政実はくるりと背を向けると、陣幕の外に歩み去った。

 宮野城に戻った政実は、一戸実富にこの後の手筈を説明させるよう命じた。
 実富が城兵の前に立つ。
 「これより半時の後、大手門の前で、大湯殿とその御家来衆が太鼓を叩く。これが最初の合図だ。太鼓の音が鳴り始めたら、まずは女子どもと、齢四十に満たぬ者は、縄梯子で三の郭に下り、岩谷橋に向かうのだ」
 わざわざ大手門の前に耳目を集める理由は、ちょうど反対の北側から城兵を逃がそうというものである。
 これを聞いた平八が立ち上がり、自分も幸若舞で敵を引き付けようと進言する。
 さらに、疾風の妻のお晶が、笛で加わることを申し出た。
 疾風は、後になりその話を聞き、お晶の決意が固いのを知ると、「必ずや岩谷橋で待っている」と告げる。

 夕刻になり、大手門の前に大湯の侍が走り出て、太鼓を叩いた。これが終わると、平八が敦盛を舞った。さらには、お晶が糠部に伝わる手踊りを踊った。

 この頃、岩谷橋では、橋向こうの道の様子を確かめつつ、疾風が一度に五六人ずつ橋を渡らせていた。橋の向こう側では、天魔一族が手引きをしている。そしてその先には、津軽(大浦)為信が布陣している。
 この戦で為信は九戸政実と敵味方に別れる事となったが、本来は九戸政実の盟友である。
 もし城から落ち延びようとする者があれば、必ずやこの橋からだ。
 為信はそう考え、岩谷橋を中心に自軍を東西二つに分け、双方向に向け四丁移動させた。その結果、 岩谷橋付近には兵がまったく居らず、周囲に灯りすら無い真っ暗な状態となっていた。為信は見て見ぬ振りをしようとしていたのだ。

 天正十九年九月三日戌の刻。
 岩谷橋からは、既に二千人を超える人々が城を脱出していた。
 いち早くこの事態に気付いたのは、白鳥川の北岸に布陣する南部信直である。
 北信愛は信直に、「自軍を西に寄せると共に、北に兵を送り落人狩りを行う」ことを進言した。落人狩りには、信直の息子の彦九郎(利直)が当たることになった。
 南部勢五千の内、信直の直属とも言うべき三千兵が音を立てぬように西進した。
 この夜は浅野・蒲生より、「一切の騒動の禁止」が申し付けられている。
 津軽(大浦)為信は事を構えず、岩谷橋付近から自軍を移動させた。
 一方、南部の追討兵は北に向かう三好平八と子どもたちに迫っていた。
 三好平八は、羽柴秀次から「何としても生かしたまま連れて参れ」と命じられている男である。
 北十左衛門の制止を顧みず、南部利直は平八への攻撃を命じる。
 平八は紅蜘蛛に子どもたちを託すと、南部兵の矢を浴び落命する。

 岩谷橋では、工藤右馬之助が、疾風の妻のお晶と供の捨吉を連れ、城を脱出しようとしていた。
 しかし、そこに南部勢が殺到した。
 北信愛は禁令を破り、九戸方の軍大将である工藤右馬之助の銃撃を命じた。
 岩谷橋の上で、右馬之助は全身に銃弾を受け命を落とした。
 この時、橋の袂に疾風と紅蜘蛛が馬で掛け付けた。疾風はお晶を、紅蜘蛛は右馬之助を救いに来たのだった。
 お晶は、己を救う為、疾風が窮地に陥る所を目にすると、自ら橋の上から身を投じる。
 疾風は南部兵に銃撃され、爆破された橋諸共崖下に落ちた。

 胸に銃弾を浴びた疾風であるが、弾は葛姫が与えた銀牌に当たったので、死んではいなかった。
 疾風は愛馬雷と共に北方に逃れたが、南部兵の追手が掛かる。
 石田三成の陣営近くに達すると、弟子の玉山小次郎が守備に当たっていた。
 小次郎は疾風を通し、追手の前に立ちはだかる。石田陣は兵糧の管理を行っている為、何人も入れてはならぬという命が下っている。
 小次郎は、その場に達した南部利直を制止し、「たとえ誰であっても、この命に替えても、石田さまの陣は通さぬ」と宣言した。

 天正十九年九月四日。
 九戸政実以下八人の武将と、その供の者三十名が城から出て来た。
 蒲生氏郷は、蒲生四郎兵衛に命じ、城内の武装解除を行わせるものとした。
 四郎兵衛が兵を引き連れ中に入ると、二の郭には凡そ一千二百の屍が並んでいた。
 ここに九戸実親が現れ、百騎の配下と共に四郎兵衛に挑んで来た。
 四郎兵衛は寸での所で実親を倒す。
 瀕死の実親は、「城内にいる兵はこれが総てであるから、城を焼き証拠を消せ。九戸将監の戦とは、敵を倒す為のものではなく、民と兵を生かす為の戦なのだ」と四郎兵衛に告げた。
 僅か一千数百の敵を倒し、城を落とす為に、上方軍は七千にも及ばんとする兵を失っていた。
 この事が狂人・秀吉の耳に入れば、攻め手の大将に災いが及ぶ事必至である。
 四郎兵衛は「城を悉く焼き尽くせ」と兵たちに命じる。

 尻口山近くに置かれた陣屋で、蒲生氏郷は政実に接見した。
 蒲生氏郷と石田三成を前にして、政実は自らの考えを明らかにする。
 羽柴秀吉が行って来た事は単なる略奪と破壊である。国の礎である人の命を軽んじる者の執り行う政など、所詮長続きするわけが無い。
 羽柴は程無く滅ぶ。必ずや秋に吹く大風のように去る事になるのだ。
 その日の為に、政実は戦で上方軍を叩きのめす一方で、自らの民を野に放ち、草叢に隠したのであった。
 氏郷は政実の言を受け入れ、「九戸党五千人は城で滅した。既に居らぬ者を追い駆けるな」と、南部信直に命じた。

 天正十九年九月五日。
 中山峠の山中に、女が一人佇んでいた。宮野城下を逃れ落ちてきた紅蜘蛛である。
 すぐ脇には崖がある。その下の川沿いには目立たぬ細道があった。何気なく目を遣ると、今はその道を一頭の馬がゆっくりと歩いていた。紅蜘蛛には、その馬の背中に跨る男に見覚えがある。
 「厨川五右衛門。よくぞ生きていてくれた。お前は兄たちの仇敵だ。この次会った時には、お前の命を貰う。その時迄に確と傷を治して置けよ」
 紅蜘蛛はすっかり生気を取り戻し、馬に跨ると、すぐさま尻に鞭を入れた。
 
                                     「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 完

◇第二部「天魔外伝・主殺し」の予告
 上方軍により、政実は三迫にいる羽柴秀次の許に連れて行かれようとする。
 蒲生氏郷が約定を守らず、九戸党の降人に対し粗略な扱いをするのを見た天魔覚右衛門(知仁太)は、政実の奪還を企図する。
 一方、傷付いた疾風は葛姫のいる山館に身を隠すが、北信愛の追討に掛かり、館を包囲されてしまう。 李相虎、知仁太が疾風の救出に向かい、五右衛門党は再び結集する。
 上方軍に対し新たな挑戦が始まった。


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