北奥三国物語 

公式ホームページ <『九戸戦始末記 北斗英雄伝』改め>

早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



<スポンサーズ・ページ> 古貨幣 迷宮事件簿   

過去記事を「書庫」に移しました                  

◎過去記事を「書庫1」「書庫2」に   
 記載が長くなりましたので、過去記事を「書庫1」「書庫2」に移転しました。

 「古貨幣迷宮事件簿」 書庫1   → 書庫1はこちら(クリック)
 「古貨幣迷宮事件簿」 書庫2   → 書庫2はこちら(クリック)

◆連絡窓口◆  

 希少品種、未勘品については、「同型のものが存在する」という情報が非常に重要です。
 数十枚程度の存在が確認できないと、「銭種として確立するのが難しい」という理由があるからです。
 このため、そういう情報をお持ちであれば、下記フォームにてご連絡下さい。
 記事に情報を追加させていただく場合があります。
 ※追加記事にさせていただく場合、「ハンドルネーム+画像」としますが、初期のご連絡の際には実名を告知してください。
 これは悪戯を避けるためと、情報を再確認する必要があるためです。なお、メルアド、お名前の記入が無い場合は、こちらには着信しないシステムになっております。
 なお画像にも権利がありますので、ご自身の所有品でない場合は送付しないで下さい。
 ※このページに掲載されている画像も転載不可となります。  
 また、既に収集、研究活動を停止していますので、古貨幣に関する議論は展開しません。前提として「分からなかった」という報告のみを記載するものだとお考え下さい。この後発展させることはありません
返信先メールアドレス※記入が無い場合は返信できません。
氏名および連絡先(住所)
件名
お問い合わせ内容 ※内容の確認後、Eメールでご連絡します。  
お使いのプロバイダにより、こちらからのメールが届かない場合があります。
数日経ってもメールが届かない場合は接続媒体を替えて再度この連絡フォームにてその由と別途連絡方法を指示してください。スマホからの場合、申し込み欄での書き込み時にエラーが起きがちです。

※EZWEB、NIFTY経由はこちらに着信しません。 YAHOOフリーメールは、本会では受信できますが、こちらからのメール連絡が届かない場合がありますので、別の連絡手段を併記してください。無い場合は書信連絡となります。

新着記事を追加する度に、過去の記事を下に送ります。

令和四年春期  古貨幣ガレージセール  ※五月末日終了予定

本会の維持費充当のため、会員の私財供与を受け「定価方式」にて販売します。
売り上げは、本会のウェブ維持費、通信費等に充当されます。

販売方法について 
イ)購入希望品について、予め連絡欄もしくはEメールにて在庫の確認をしてください。
ロ)折り返し状況をお知らせします。在庫がある場合、品代と送料、送金口座をお知らせします。着金確認後の発送となります。
 代金の内訳は
 ・品物の代金 ・送料の合計額となります。 ※消費税の加算はありません。
 送料は「定形外クッション封筒」「書留または簡易書留」で宜しいのであれば、一律450円としますので、お得です。また重量のあるセット品については宅急便600円とします。
 この他の発送方法をご希望の時は、実費にて承ります。
 受注確定後、1~3日内に発送します。

ニ)返品
 品物に何らかの瑕疵があった際には返品を受け付けます(10日以内)。
 「気に入らない」という理由では、返品を受け付けませんので、事前によく検討してください。
 ただし一括販売品と複数品のセット出品につきましては、全体価格ですので、返品をお受けしません。これはサービス価格であることと、「品物の一部を別の品と取り替えて返品する」方が現実におられることによります。

 ご返金はご指定の口座に「品代のみ」お返しします。
 返品期限を設けるのは、「購入した品を第三者に売りに行き、売れない場合に返品する」方が現実におられるためです。
 配送中に生じた欠損については、配送会社の責任となります。また、補償のない配送方法をお望みの場合、発送にて免責となります。
 ※文言が漏れているケースには、旧「雑銭の会」の会則に従って判断します。

提供品リスト ※品番と品名(品名は略記で可)をご明記ください。
なお売価一万円を超える品については、追って別途、詳細な画像を添付します。
  
<新規出品登録のコーナー> 


説明はブログの方に記載してあります。
説明はブログの方に記載してあります。


C1002とC1003は二枚組です。
C1002とC1003は二枚組です。

 C1002とC1003は二枚組です。
 C1002とC1003は二枚組です。

 
<穴銭の部> 













































<紙幣の部 C>




































<その他の部 P>



大文館刊 昭和44年 本文316頁
大文館刊 昭和44年 本文316頁






<がらくた堂(雑銭)G>





<近代貨幣の部 S>





密鋳鉄銭に関する質問と回答  その2

(2)背盛の分類
<質問>
 二つ目は、背盛の密鋳鉄銭の見分け方についてです。銅銭は鑢の痕などがはっきり出ますが、鉄銭ではなかなか確認し難いです。背盛はバラエティーに富んでいて、全然分類が分かりません。大きさが官鋳に見えても、製作や鉄質が変に見える物も少なくないと思います。銭座の判別も含めて、分類のポイントを教えていただけると嬉しいです。

<回答>
 結論を先に書きます。
1)まず「鉱鉄(鉄鉱石)製」と「砂鉄製」のものを区分する。 
 前述のとおり、正確には区分出来ない場合があります。
 砂鉄から「たたら炉」で「づく鉄」を作りますが、その際に流れ出た湯をそのまま銭型に流し込むケースと、それを再精錬して鋳銭を行うケースがあるからです。
 再精錬銭は、むしろ鉱鉄(鉄鉱石を高炉で溶かしたもの)よりもきれいに出来ていたりします。
 玉鋼(たまはがね)は、砂鉄由来のものですが、あたかも鏡やダイヤのような光を放ちます。

 背盛には玉鋼の試鋳銭があるのですが、これは浄法寺(山内座)から出たものです。
 東京を経由して、関西のHさん所蔵となったようですが、Hさんが亡くなられた後は所在が分かりません。

2)銭座ごとの分類が可能なものがあるので、それを分けてみる。
 背盛の母銭は、基本的に同じ原母から派生したものです。よって、面文の違いを見ようとしても、さほどの違いはありません。母型の分類ではそれほど種類は多くないのですが、幾らか製作に違いがあります。
 背盛を含む当四銭であれば、まず地金の点で
 イ)鉱鉄(高炉製) :  大迫外川目座、栗林座、橋野高炉および釜石三山(大橋、砂子渡、佐比内の各高炉)
 ロ)砂鉄製(たたら炉製) : 浄法寺山内、その他の鉄写し、に大別できます。

 この場合、銭座ごとに母銭の仕上げ方法に固有の特徴が出るケースがあります
●大迫および栗林後期はオーソドックスな「輪側が蒲鉾型」のものが多い。


●栗林座では、当初、橋野高炉より銑鉄を買い入れていたので、材料節約を目的として、「背面の周縁を強く削り取った」。これは栗林座を起源とする仰宝大字によく見られますが、仰宝や背盛にもあります。なお、その後、自前の高炉を作り、自己調達するようになったので、以後は事実上、区別がつきません。


●橋野座では、輪側が直角に立っています。これは背盛、仰宝の原母を新しく作り直したことによります。輪側が完全に直立した型は、大迫の大型母銭(銅原母の類)か、橋野銭だけです。
●大橋、砂子渡・佐比内で、母銭と見なされて来たのは、薄肉小様で黄銅・白銅銭です。高炉鉄で、小さく見すぼらしいものの中に当該銭があると思われますが、はっきりとは分かりません。
●浄法寺山内座では、いくらか型に変化が生じたものがあります。これは銭譜に掲載されていると思いますので、ここでは省略します。
固有の特徴としては、「面背を研磨している」ことがあり、ペッタリしているものがあります。 
 これは母銭と通用鉄銭の双方で確認できます。
 研磨の目的は「材料の節約」のための筈ですが、どういうわけか、鉄通用銭の面背を削ったものもあります。通常、鉄銭には加工をしないので意味がよく分かりません。

 繰り返し書きますが、以上の特徴は、「それと分かるものもある」という認識が必要です。
 まずは、「鉄素材の作り方」×「加工方法」でアプローチするのが分かりよいだろうと思います。
 ただ、何事にも例外はあり、例えば大迫では「橋野より銑鉄を買い入れた」という記述があるわけですが、実際には、それだけでなく多方面から鉄素材を買い入れた模様です。
 大迫の銭座は、農民による焼き討ちで焼失したため、今でも銭座跡から鉄銭が出ることがあります。その中には、砂鉄由来のものがあり、他地域からも「値段が合えば素材を買っていた」ことが分かります。
 以上が基本的な見方だと思いますが、銭径の大小を含め、どの銭座にどのような型のバラエティがあるかは、正確に調べた人がいません。
 鉄銭は「目に優しくない」ため、高齢になると見え難くなるという阻害要因があるためだと思います。こちらは、今後の収集家の方の課題になって行きます。
 
 (既に銭座ごとのサンプルは複数の収集家に差し上げております。画像は撮り直しが必要になりますので、追って時間が取れた時に多少添付します。)


密鋳鉄銭に関する質問と回答  その1

◎密鋳鉄銭に関する質問と回答  その1
 少し前にウェブサイトを経由して下記の質問を受けたのですが、プロバイダの相性が悪くメールでの通信できない状態です。直接でのご連絡が難しいようですので、ブログとウェブサイトの双方に分かり得る範囲で回答を記します。
 画像を加えますので、質問一つずつについて簡単に言及して行きます。 

◆質問◆ (1)~(3)まで順次回答します。
 はじめまして。主に寛永通宝の鉄銭を収集しています。少し前、このサイトやブログを見つけ、感動しました。僕もこんな収集をしてみたい…と思い、勉強しましたが、分からない事だらけです。今回は数点の質問で、メールさせていただきました。教えていただけると嬉しいです。

<回答>
 鉄銭に関しては「型」による分類から外れ、「製作」を観察する必要があります。
 銅銭と違い、金質や古色等による把握が難しいので、「判別が可能なものもある」という認識を持つ必要があります。従来の銭影を基にするやり方では、通用しないことが多いのです。
 その意味で、密鋳鉄銭研究の戸口の前に立たれたことは、大変すばらしいことです。
 このジャンルは「ほとんど先人がおらず、興味を持つ人の少ない」ジャンルです。
 まずは、「新しい仲間」として歓迎します。
 鉄密鋳銭はいまだ未開拓の原野なので、この道を突き進めば、「これを解明した最初の人」になれる可能性があります。
(1)密鋳鉄銭について
<質問>まず一つ目は、鉄写しについてです。小字背千などの密鋳は分かりやすいものの、それ以外の写し銭が気になります。銅銭を写してあり、薄肉で文字がはっきりしている物は、かなりの存在数があります。その様な銭は、贋作なのでしょうか?贋作も簡単に作ることができるし、意外にも高く売れるので、贋作の可能性も十分あると思いました。


 <回答>
 一般通用銅銭を摸鋳した鉄銭(=鉄密鋳銭)の贋作は、これまでのところあまり作られていません。鉄を熔解するのには少なくとも1千3百度の熱が必要で、砂鉄になると不純物が多いのでさらにもう数百度加えた高温が必要です。

砂鉄から派生した地金
砂鉄から派生した地金

 密鋳鉄銭の本場は、北奥地方や中国地方ですが、概ね砂鉄製です(一文、当四銭とも)。
 明治以後、高炉や反射炉の銑鉄を生産する鉄山に、公営・請負の銭座が置かれることがあったのですが、こちらは専ら当四銭だけでした。
 大雑把に言えば、まず「密鋳銭は砂鉄製のもの」を原則とすればいいでしょう。

 鉄銭を前にした時に、最初に見ることは「鉄鉱石由来のもの」か、「砂鉄由来のもの」という見方をすれば、概ね前者が「公営・請負銭座のもの」、後者が「それ以外の密鋳銭」ということになります。
 次に贋作についてですが、鉄銭の贋作は一部の希少品(背ト系や試鋳銭)にはありますが、いずれも銑鉄で作られています。
現在では電気炉と言う便利なものがありますが、それでも砂鉄から直接、鋳銭を試みると、あまり出来栄えが良くない、ということです。
 寛永鉄銭では、ほとんど贋作は見られないのですが、地金のルールをきちんと押さえておく必要があります。
 一方、鉄絵銭には近年になり、贋作が作られるようになって来ましたが、いずれも販売を意識して、本物よりもきれいに、厚く仕上げられています。
 本物の方は、出来栄えよりも、「素材を節約しつつ、枚数を作る」ことに比重が置かれたので、かなり薄く仕上がっています。

鉄密鋳銭には得体の知れぬ品が沢山ある。
鉄密鋳銭には得体の知れぬ品が沢山ある。

 ちなみに、密鋳銭で最も難しいのは、石巻系統の鉄一文・小字背千の写しです。
 型に違いがありませんので、文字を幾ら見ても答えが出ません。それ以前に拓を採ろうにも、小さく見すぼらしいので、きれいに採れません。
 本銭の出来があまり良くない上に、小ぶりなこともあり、出来の悪い本銭なのか密鋳銭なのかの判別が困難と思います。

 以上は、ごく大雑把に記したものです。
 実際には、溶鉄を直接銭型に流し込む他に、一旦、「づく鉄」をを作り、これを再精錬して鋳銭に供するケースがあり、砂鉄経由と鉄鉱石(鉱鉄)経由の区分も、すっきりとは出来ないことの方が多いです。そこで冒頭の「判別出来るものもある」という認識になるわけです。
◆まずは鋳物工場を見学すること
 地金を学ぶには、最初に鋳物の工法を勉強すると、分かりが良くなります。
 鋳物工場で見学させて貰える会社があれば、訪問してみると良いです。
 私は埼玉在住ですが、川口の鋳物工場まで行かずとも、近所に幾つか金物工場がありましたので、時々見に行っています。

出来そのないの「づく銭」
出来そのないの「づく銭」

 密鋳銭の本場は岩手なのですが、釜石には「鉄の博物館」があり、ここで橋野高炉の概況等が見学できます。
 また、盛岡には南部鉄瓶の「岩鋳」で、実際の鋳造工程を見学させて貰えます(事前予約必要)。ここで「砂型」の作り方を学ぶと良いでしょう。市内の鉄瓶屋さんでも、工房を見学させて貰える場合があります。
 時間があれば、軽米町の資料館もお勧めです。軽米・大野は鉄密鋳銭の本場のひとつですが、「掛け仏」などそれ以外の「たたら製鉄」の資料が雑然と置いてあります。(続)

出来損ないの「づく銭」 拡大
出来損ないの「づく銭」 拡大

以下、二十一日頃まで続伸します。

8/23 定例会報告

◎8月23日例会報告
 数年ぶりに「雑銭の会」定例会を開催することにした。
 そこで、かつての登録会員のうち、主に首都圏在住者を中心に、住所の分かる幾名かに案内状を送付させて貰った。名簿は個人情報保護の観点から既に廃棄してあるので、年賀状等で調べることの出来た方、十名程度だ。
 もちろん、昨今のコロナの影響を鑑みなくてはならないので、「なるべく来ないでください」という但し書きも添えている。
 例会を招集して置いて、「来ないでください」は変な話だが、今はネットがあるから、そちらのやり取りで済む。
 わずか一週間前の招集だったので、「もしかすると、誰も来ないかも」と思っていたが、連日35度を超える猛暑の中、幾人かがいらして下さった。
 数日前の告知で、案内状送付が十人程度の割には出席率が高い方だ。
 今はコロナ対策で規定人数の半分しか入れないから、十八人部屋では九人が限界人数だ。
 出席は六人だったから、概ねちょうどよいサイズだった。

個人情報保護のため顔にはマスク使用。
個人情報保護のため顔にはマスク使用。

 雑銭の会は「大仰な挨拶をしない」ことと、「収集は道楽のひとつに過ぎず」というスタンスだから、特に議事進行のようなものはない。
 簡単な状況説明の後に泉談を開始し、頃合いを見てボイスオークションを開始した。
 「あまり参加者はない」ことを前提に持参品を限定したが、それでも「持病有り」の者には少々キツかった。

顔が見えずとも、どなたかは分かりますね
顔が見えずとも、どなたかは分かりますね

 しかし、こういう状況で「私自身ならどう対応するだろうか」と自問すれば、答えは「裁定でも百万くらいの資金を持ち、駆け付けるだろうな」というものだ。実際、お一人は同じ考えを持ち、現金を持参されていた。
 希少品が出る可能性があり、その場合、現金が無くては入手機会を失ってしまう。
 「ここぞという時は押して出る」のがコレクターとしての心構えだ。
 重要なのは「押し引き」で、押して出るか静観するかを瞬時で判断しなくてはならない。
 (ちなみにここは「駆け引き」ではないので、念のため。)
 業者や入札・オークションでのみを相手に収集をしていると、1件ずつ「手を止めて考えてしまう」のだが、「蔵開け」や「骨董会」では、そんなことをしていたら、何ひとつ得られない。瞬時に判断して、押すか退くかを決められるかどうかが勝負になる。

 今回のテ-マのひとつは、「近代貨の処理方針を決定する」ことだった。
 雑銭の会には近代貨を収集している会員が数名で、おそらく一人は告知を見る。
 その会員から連絡が来た際には、「今日はあなたが相手だからね」と伝えた。
 状況についても、泉談の折に「25年前に買い入れた近代貨が出て来たこと」、「主に金融機関の金庫から出たロール割りか袋入り」の品だと伝えてある。
 ウェブ経由の反応や当日の感触により、手持ちの近代貨の大半は地金業者に渡る。
 いつまで金銀価格が高値でいるかは分からないし、その地金よりコイン評価の方が低いのでは、「早いうちに地金処理しろ」という結論になる。
 当日、Mさんにも話したが、「ここは考えるところではないよ」ということ。
 数秒の間でも躊躇したら、「次」は来ない。
 ちなみに、添付画像の品が「かなり沢山ある」のだが、数日中に地金業者かリサイクル業者に向かう。年内で収集品の処分を完了し、その時点での残余分は博物館等に寄付する予定になっている。
 幾らくらいで買ったかはあまり記録しない主義だし、記憶間違いでトラブルになったりする。だが、銀貨の「大量買い」の基本は、地金買いだから、今のような高値なら地金で損は生じない。
 母は亡くなる半年前に私を呼び、自身の服や装飾品を出して、「これは誰それ、こっちは誰それに」と分与を指示した。
 当時は「母はついに腹を括ったのだ」と悟り、悲しい思いをしたが、母の毅然とした姿には学ぶところがあった。生き方、死に方の手本はごく身近にあったのだ。

出品物の小型五十銭 大半が極美から未使用 
出品物の小型五十銭 大半が極美から未使用 

 やや脱線したが、泉談はいつもながらエネルギッシュだった。
 あまりにパワフルなので、「さして人生には必要でないことに、ここまで燃えるとは」とからかわせて貰った。
 参加者より「では次回ね。11月頃に」との要望があったが、さすがに「次」の約束は出来なかった。
 電車に乗り都区内に入るのは2年ぶりくらいで、正直、キツかった。

 画像最後は金融機関の金庫から出た小型五十銭銀貨だ。ご丁寧に「ロール割りか袋入りだった」と教えてくれている。要するに極美から未使用の範囲で、これを地金で売ってくれると言う。いったい何を躊躇するのかが分からない。ここで考えると、旭日や龍五十銭が出て来ることは無い。ここは想像力勝負で、常々「手の上の銭ばかり見るな」と言う通り。


◆泉談の一部紹介 ※少し補足を加える。
「盛岡八匁銀判」

 よく「製造期間は慶応四年三月から九月の半年間」と書かれているが、実際はそれより短い。債務に対応するために、通常、一両には九匁二分の銀が相当するのに、七匁や八匁の量目で一両として受け取らせようとした。

面背の「あの特徴」が最も重要
面背の「あの特徴」が最も重要

 実際にはほとんど市中流通しておらず、各代官所や銭座に見本として渡したものと、盛岡市内の御用商人に代金として下げ渡したものだけが出所になる。
 このため、両替印が「無い」か「一個だけ」であることが普通。複数あれば希少品で、未使用より価値がある。
 ・「隠し」はあまり重要ではない。これがあるものも無いものもある。隠しのある偽物もあるので、あてにしてはならない。
 ・未使用状態ではなく、面背で「あの特徴を確認出来る」ものを入手すること。きれいな品は概ね後作品だ。収集家は美銭を好むが、この場合、「飛び込み自殺」になりがち。

 ちなみに、地元収集家が作成した『南部贋造銭図譜』という私本が存在するが、これには地元後作品の詳細が記載されていた。私は元郵便局員の「あの方」のお宅に呼ばれた時に見せて貰ったが、まさに「衝撃」だった。

「宮福蔵作」
 宮福蔵は県の職員で、勧業場の殖産興業部門の担当だった。伝統技術の掘り起こしのため、南部鉄瓶や鋳銭職人との交流を持ったが、そこで鋳造技術に精通するようになり、古銭を創作した。
 「背モ」「下点盛」といった銭種の根源を辿ると、総て宮福蔵に到達する。
 「モは模造のモです」と冗談を言わせて貰った。

 岩手県勧業場での鋳銭や、新渡戸仙岳、そしてこの宮福蔵と色々なことが言われているが、大半は誤りだ。古銭書を鵜呑みにしてはならず、「足と手で調べるべき」と指摘する通り。
 概ね県立図書館を丁寧にあたることで、簡単に解決する。
 もう一度書くが、「古銭の解説書を鵜呑みにすると誤謬を飲み込む」ので注意が必要だ。

「短足宝米字極印打」 上棟銭の類。
 上記の元郵便局員のあの方に聞いたところでは、ご本人または先輩が直接見た話として、「総ての品が南部藩お抱えだった飾り物職人の道具箱から出た品」ということだった。
 よって岩手県の収集家から戦前戦後に出た品は、基本的にこれが出自となる。
 ところが、今目にすることが出来るのは、ほぼ「昭和の作品」になっている。
 地元K会長や、上記元郵便局員の某氏が打ったもの。
 戦前には、上棟銭や木戸銭のような目的で、打極銭が沢山作られているから、飾り職人自体は注文に応じて作成したものだろう。
 これが着目されるようになったのは、昭和五十年代からで、大正期以前にはいかなる銭譜にも掲載が無い(これは当たり前でそもそも存在していない)。
 『南部貨幣史』や『天保銭図譜』(青宝楼)にも、もちろん、記載がなかったと思う。

 古貨幣自体は美術品・ファンタジーの要素があるから、「銭座で作られたものではない」ことを承知していれば、どう評価しようと「その人の勝手」になる。
 ただし、「ほぼ昭和のもの」で「盛岡藩のものではない」ことはきちんと押さえる必要がある。

 ちなみに、今後は「古泉界の外に出て、散々、古泉界の悪口を言うようにします」と宣言した。もちろん、冗談だが、要するに「気にしない」「配慮しない」ということだ。

八月期処分 ならびに「雑銭の会 一度限りの復活定例会」のおしらせ

◎雑銭の会 「一回限りの復活定例会」のご案内
 会員の皆様ご無沙汰しております。
 下記の要領で、雑銭の会の八月定例会をご案内します。
 今年は少し例年より体調が良いので、急遽、会を開催するものとしました。
 なお、突然開催を決めたのは「虫の知らせ」によります。

 なお、現在、首都圏ではコロナが流行しておりますので、ウェブページやFAX、Eメール、Cメール、電話等を活用して頂き、当日はなるべく小人数(数人)で行いたいと思います。
 初めての方がいらした場合は、自己紹介と、形式的なものになりますが会員登録をしていただきます。
 参加される場合は、なるべく事前に「連絡窓口」より告知してください。コロナの感染状況によっては、当日になり開催できなくなるケースも考えられます。
 その場合、こちらから携帯等にご連絡します。

 期日: 令和2年8月23日(日) 午後3時半~6時
 会場: 早稲田奉仕園 (裏面に案内図) 102号室
会場: 財団法人 早稲田奉仕園 セミナーハウス102号室
 〒169-8616 東京都新宿区西早稲田2-3-1
 TEL03-3205-5411 FAX03-3205-5413  URL http://www.hoshien.or.jp
 (最寄駅は、東西線の早稲田駅です。)

 東西線早稲田駅を出て、早稲田大学文学部を左に見ながら坂を上ります。右にサイゼリアが見えたら、その次の路地を右に入ると、奥が会場です。門を入ると、右横奥に事務棟がありますので、不明な場合はこちらで照会してください。
 http://www.hoshien.or.jp/map/map.html

会場までの地図
会場までの地図

◆定例会の内容
1)簡単な挨拶ならびに近況報告
2)新規参加者の自己紹介
3)ボイスオークション
 ※八月期処分と重ねて行います。
 ウェブページからの申し込みの締め切りを22日午後12時とし、定例会V.A..の終了時までに最高値を付けた人の落札とします。
 当日参加者が有利なシステムのようですが、これまでの経験では、あまり違いがありません。
 画像等詳細は一両日中に整理します。

 当日は「極力、小人数での開催」(数人程度)を念頭に置いています。処分品のみご希望の方は、なるべくウェブページ等をご利用下さい。
 アルコール消毒は用意しますが、各々マスク着用にてお願いします。

処分品のリスト8/19改訂  (当日まで追加・変更があります。)
処分品のリスト8/19改訂  (当日まで追加・変更があります。)

奥州大型七福神銭の概要         2020/06/29

◎奥州大型七福神銭の概要
 この大型の七福神銭は東北地方で作られたものだが、詳細は分かっていない。
 南部銭の銭譜には、従来より知られた大型七福神銭(銅鉄)があるのみで、この型の記載はない。
 最初に入手出来たのは、③の「浄法寺写し」で、その後、数十年をかけて1枚ずつ探し出した。
 各地の収集家を訪ね歩いて状況を確認したが、岩手県内には浄法寺鋳を所有している人が数人、宮城県内に本体銅銭の銭拓が残っているだけで、なかなか巡り合えない。
 とりわけ、鉄銭の所在が焦点のひとつだったのだが、ついぞ見つけることが出来なかった。

 みちのく合同古銭大会の記念銭譜に、これと同型の拓本が掲載されているので、仙台の古銭会を訪問したことがあるが、「南部のものでは?」という意見だった。
 南部では逆で「仙台が出自では?」という意見だったから、途方にくれたが、その後、母銭を入手できたので見当がついた。
 銅母の地金を見る限り、これは江刺地方の絵銭である。
 江刺地方は、元々は仙台藩の領内なのだが、今は岩手県に属している。絵銭等は独特のものが作られているようだから、なるほど「仙台でも盛岡でもない」という見解が生まれて来るのだった。
 南部(盛岡)でも仙台でもないなら、それと分かる標識を付ける必要があるが、江刺地方は現在、奥州市に含まれるから、「奥州七福神銭」と仮称することにした。
 製作された時代を測るべく、手を回して来たが、結局、よく分からない。
 派生した品が多岐に及んでいることから、「新しいものではない」ことが分かるが、どのくらい古いかが分からない。ひとつの手掛かりが「鉄銭の有無」で、その製作を見れば、ある程度推測できるのだが、鉄銭は結局見付からなかった。
 七福神銭は、ありふれた銭種のように思われがちだが、少し製作がずれると、存在はかなり希少である。
 入札等で入手出来たのは、②の銅銭のみで、あとは収集家を訪問して譲り受けた品である。ちなみに、オークションでは古道具屋さんが出品していたが、雑絵銭の扱いだった。
 単体の画像ではサイズが分からないのが幸いした。
Ⅰ 基本銭種
 様々な銭容があるため、1)本体、2)浄法寺写し、3)その他の写し、について紹介していく。
1)本体 
 母銭(①)、通用銭(②)とも地金が白っぽく、黒い古色が乗る。
 母銭の背は「見事」な製作で、内郭・輪とも丁寧に仕上げられている。
 銅銭の方はよく使われており、時代色が鮮明である。輪側は斜め鑢。

奥州大型七福神銭 本体 母子
奥州大型七福神銭 本体 母子

2)浄法寺写し
 浄法寺の写しについては、一枚の銅銭が原型となりそこから派生したようで、背の右下に必ず小さい突起がある。
 当百銭にこれと製作が一致するものがある筈なので、別項に検討結果を記す。
 ④は半仕立てのチョコレート色のタイプである。

奥州大型七福神銭 浄法寺写し
奥州大型七福神銭 浄法寺写し

3)その他の写し
 浄法寺写しの他に、鋳所・年代の不明な写しが存在しており、明治後半から昭和戦前にかけて写しが作られたようだ。
 ⑤は割と整った品で、⑥はその写しになる。おそらく⑥は昭和のものだろう。
 銭径に違いがあり、何段階か写しが作られているようだが、存在数自体は少ない。
 ⑥は所謂「加賀出来」によく似ているが、これも市中で見掛けることは無い。

奥州大型七福神銭 写しの類
奥州大型七福神銭 写しの類

4)別銭類
 この大型銭をモチーフに作られたらしい、後発の絵銭類が存在している。
 盛岡藩領内の大型七福神ではなく、こちらが手本となっているようで、作風(意匠)に少し似たところがある。
 ⑦については、盛岡藩の大迫銭座の「祝鋳七福神天保」ではなく、こちらの系統になるようだ。山が平滑な点で共通点がある。
昔、ある古銭店主が「これは明治後半のもの」と断言していた。実際、戦前の銭譜にも掲載があるようだ。だが、その後も写しが作られており、昭和のものもある。
 ⑧も初発は明治末くらいだろうが、昭和以降も作られている。図案が浅いので作りやすいのだろう。

奥州大型七福神銭 別銭類
奥州大型七福神銭 別銭類

Ⅱ 浄法寺銭の比較検証
 この銭種については、存在数が少ないことから、研究としてやれることが少ない。
 唯一、浄法寺写しについては、発見時以降、十数品は確認されていると思われる。
他に当百銭、絵銭等が出ているので、これと比較することで「どの品を作った時に作ったか」を推定することが出来る。
 ア、イは山内座のもの、すなわち藩鋳銭である。
 ウ以降が、称「浄法寺写し」となるわけだが、こちらの製作手順は「少なくとも四通り」の製作工程が存在し、同時に作られたものではない。すなわち、少なくとも四回以上の鋳銭が行われた、ということだ。
 さて、製作の類似性を見る上で、最も簡単な手掛かりは、「谷部分の鋳肌」である。この位置は、手を加えることをしないし、湯温の高低や素材の違いが反映される。
 結論のみを記すと、大型七福神銭の③浄法寺写しに最も近いのは、ウ)仕立て流通銭であり、これに次いでオ)、カ)の順となる。

浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較
浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較

浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較
浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較

 銅銭の場合、湯温を極力下げると出来上がりが滑らかになる。かたや湯温調節がうまく出来ない時には、温度を上げ、湯流れをよくする。
 ウ)は東北地方の外で見つかった品で、実際に貨幣として使われた品だから、製作年代はある程度古い。この時点で「少なくとも明治二十年代から三十年の間」と見込むことができる。
 目視による印象では、オ)の「半仕立て」が似ているように感じるが、実際は少し違う。
 やはり印象で判断してはダメで、きちんと手続きを踏んで検証する必要がある。

浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較 3
浄法寺大型七福神銭と当百銭の比較 3

◆類品報告
 記事を見た収集の先輩より、「当家にもある」と画像を頂いたので、許可を得てここに添付する。
 発見場所はやはり「宮城北部から岩手南部」のようで一関周辺ということ。
 48ミリ台の通用銅銭ということになる。
 既述の①銅母は49ミリ台前半、⑤の写しは47ミリ前後であり、その中間に位置する。なお、この銭種の特徴のひとつに「少し反っている」というものがあり、計測には誤差が生じる。
 面白いのは背の処理で、⑤の背面に若干近似している。
 写しが、他地域の写しではなく、同じ系統の次世代である可能性があり、面白いと思う。いずれにせよ、類品を集める必要がある。

奥州七福神銭 銅銭
奥州七福神銭 銅銭

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

.